CULTURE
マルセル・デュシャンの名言「…ってものを信じてます」【本と名言365】
May 15, 2024 | Culture, Art | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Toko Suzuki illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。美術史上、もっとも信じがたい御人からの意外な一言。
アートってものは信じない、アーティストってものを信じてます
新聞紙面上で「便器」という単語を掲載することすらタブー視されていた1917年のこと。
フランス出身ニューヨーク在住の美術家マルセル・デュシャン(当時29歳)は、パリに住む妹に近況報告の手紙を送った。そこには自身が理事を務める独立美術協会が主催する展覧会で、自分の女友達が偽名を使って男性用便器を"作品"として出展する珍事件が起きてしまった。一連の責任を取ってデュシャンは理事を辞任した…としたためていた。女友達が使ったとされる偽名は「リチャード・マット」。つまりマット氏の正体は女友達ではなく実は自分自身で、すべてはデュシャンの自作自演だったのだ。この時デュシャンは共謀した仲間の数人を除き、その事実をひた隠しにしていた。パリに住む妹にまで嘘の手紙を送り、"完全犯罪"を目論んでいたのだ。
この展覧会は「アンデパンダン展」と呼ばれる無審査の展覧会で、協会の会員なら一人につき作品2点を出展できるルールを設けていた。しかし当時のアメリカで「便器」が作品なんてバカにしていると、独立美術協会は激怒。デュシャンは作品擁護派として主張を展開したものの大揉めに。結局理事による多数決の結果、展示は却下が決定される。これがのちにコンセプチュアル・アートを発展させる「美術史上最も影響力のある作品」として後世に語り継がれる作品『泉』の誕生だった。
未遂で終わったゲリラ展示後も「毎日の暮らしで使う平凡な道具をとりあげ、新しい題名と見かたを示し、役に立つものという意味あいが消えるようにしむけて、(中略)新しい考えかたを創りあげた」とあちこちで『泉』の解説と擁護を続けていたデュシャン。
そのデュシャンが晩年吐露していたのが、「アートってものは信じない、アーティストってものを信じてます」という一言。
……え、それあなたが言います? というツッコミはさておき、ここにはデュシャンの美術観が凝縮されていることは確かなようだ。
デュシャンは芸術における四次元の重要性について切々と語り、四次元的な感覚という点において、おもむろに愛の素晴らしさを説いている。「だから愛ってのはこれだけ尊重されてるんですよ!」と声高になり「だからアートにはあんまり興味がないと言ってるんです。ひとつの職業であって、わたしの人生すべてじゃあない、およそ違う」と結んでいる。
「芸術は、真理を語らせてくれる、嘘である」。これはデュシャンとは対極のアーティストであるピカソの言葉だが、デュシャンにとっても芸術がその媒介になりうるとして、そこにはまだ人間の愛を超えるものはないと認識していたのかもしれない。時代を超えて、人を煙に巻いてきたデュシャンの意外な一言だが、この言葉も額面通り信じていいのかどうかまだわからない。「わたしの言うことなんて信じちゃあいけませんよ」と続くからだ。
新聞紙面上で「便器」という単語を掲載することすらタブー視されていた1917年のこと。
フランス出身ニューヨーク在住の美術家マルセル・デュシャン(当時29歳)は、パリに住む妹に近況報告の手紙を送った。そこには自身が理事を務める独立美術協会が主催する展覧会で、自分の女友達が偽名を使って男性用便器を"作品"として出展する珍事件が起きてしまった。一連の責任を取ってデュシャンは理事を辞任した…としたためていた。女友達が使ったとされる偽名は「リチャード・マット」。つまりマット氏の正体は女友達ではなく実は自分自身で、すべてはデュシャンの自作自演だったのだ。この時デュシャンは共謀した仲間の数人を除き、その事実をひた隠しにしていた。パリに住む妹にまで嘘の手紙を送り、"完全犯罪"を目論んでいたのだ。
この展覧会は「アンデパンダン展」と呼ばれる無審査の展覧会で、協会の会員なら一人につき作品2点を出展できるルールを設けていた。しかし当時のアメリカで「便器」が作品なんてバカにしていると、独立美術協会は激怒。デュシャンは作品擁護派として主張を展開したものの大揉めに。結局理事による多数決の結果、展示は却下が決定される。これがのちにコンセプチュアル・アートを発展させる「美術史上最も影響力のある作品」として後世に語り継がれる作品『泉』の誕生だった。
未遂で終わったゲリラ展示後も「毎日の暮らしで使う平凡な道具をとりあげ、新しい題名と見かたを示し、役に立つものという意味あいが消えるようにしむけて、(中略)新しい考えかたを創りあげた」とあちこちで『泉』の解説と擁護を続けていたデュシャン。
そのデュシャンが晩年吐露していたのが、「アートってものは信じない、アーティストってものを信じてます」という一言。
……え、それあなたが言います? というツッコミはさておき、ここにはデュシャンの美術観が凝縮されていることは確かなようだ。
デュシャンは芸術における四次元の重要性について切々と語り、四次元的な感覚という点において、おもむろに愛の素晴らしさを説いている。「だから愛ってのはこれだけ尊重されてるんですよ!」と声高になり「だからアートにはあんまり興味がないと言ってるんです。ひとつの職業であって、わたしの人生すべてじゃあない、およそ違う」と結んでいる。
「芸術は、真理を語らせてくれる、嘘である」。これはデュシャンとは対極のアーティストであるピカソの言葉だが、デュシャンにとっても芸術がその媒介になりうるとして、そこにはまだ人間の愛を超えるものはないと認識していたのかもしれない。時代を超えて、人を煙に巻いてきたデュシャンの意外な一言だが、この言葉も額面通り信じていいのかどうかまだわからない。「わたしの言うことなんて信じちゃあいけませんよ」と続くからだ。
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