CULTURE
千利休の名言「家はもらぬほど、…」【本と名言365】
May 3, 2024 | Culture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Mariko Uramoto illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。戦国時代にわび茶の形を完成し、茶道を発展させた千利休。彼の言葉を通して、日本人の美意識の原型と言える、「わびの世界」の本質に迫ります。
家はもらぬほど、食事は飢えぬほどにてたることなり。
高貴な階級の間で舶来品を愛でながら盛んに催されてきた書院での豪華な茶宴から、精神性を追求する茶の道へ。その変化の一端を担い、「わび茶」を大成させたのが千利休だ。
わびとは何だろうか? それは、物の不足を心の豊かさで補うこと、と言えるだろう。村田珠光が、唐物道具を良しとしていた風潮に異を唱え、素朴な日本の工芸品に目を向け、新たな美意識を茶の湯の世界にもたらした。その精神を弟子の武野紹鴎が深め、さらに利休へと引き継がれて、わび茶が完成する。
利休が目指したのは、人々の心の交流を中心とした緊張感のある茶の湯。そのために必要なのは豪華な道具や贅沢な食事でもなく、立派な茶室でもなかった。何より大事なのは、相手を思う心。一服のために亭主は様々な趣向、工夫を凝らして茶室を設え、道具を組み合わせ、心を尽くした手前でもてなす。亭主と客が一服の茶を介して一期一会の心を通わせる。茶の空間にはもてなしの精神とそこに一切の妥協を許さない姿勢が必要なのであり、だから、「家は雨が漏らぬほど、食事は飢えぬほどあれば十分」だったのだ。
利休が手がけた茶室「待庵」には、わび茶の精神が凝縮されている。わずか二畳という小さな空間の壁は上塗りを省略し、土の中に混ぜた藁が表面に出た状態を止めており、屋根はこけら葺きの庶民スタイル。できる限り装飾を排することで美が立ち現れると利休は信じていた。まさに「家はもらぬほど」を表したつくりだった。
利休は当時の天下人・豊臣秀吉に仕えるも、蟄居を命じられ不遇の死を遂げた。だが、彼が説いた茶の精神は三千家によって現在も受け継がれており、日本文化として発展。日本人の美意識の原型として、「わび」の精神を今に伝えている。
高貴な階級の間で舶来品を愛でながら盛んに催されてきた書院での豪華な茶宴から、精神性を追求する茶の道へ。その変化の一端を担い、「わび茶」を大成させたのが千利休だ。
わびとは何だろうか? それは、物の不足を心の豊かさで補うこと、と言えるだろう。村田珠光が、唐物道具を良しとしていた風潮に異を唱え、素朴な日本の工芸品に目を向け、新たな美意識を茶の湯の世界にもたらした。その精神を弟子の武野紹鴎が深め、さらに利休へと引き継がれて、わび茶が完成する。
利休が目指したのは、人々の心の交流を中心とした緊張感のある茶の湯。そのために必要なのは豪華な道具や贅沢な食事でもなく、立派な茶室でもなかった。何より大事なのは、相手を思う心。一服のために亭主は様々な趣向、工夫を凝らして茶室を設え、道具を組み合わせ、心を尽くした手前でもてなす。亭主と客が一服の茶を介して一期一会の心を通わせる。茶の空間にはもてなしの精神とそこに一切の妥協を許さない姿勢が必要なのであり、だから、「家は雨が漏らぬほど、食事は飢えぬほどあれば十分」だったのだ。
利休が手がけた茶室「待庵」には、わび茶の精神が凝縮されている。わずか二畳という小さな空間の壁は上塗りを省略し、土の中に混ぜた藁が表面に出た状態を止めており、屋根はこけら葺きの庶民スタイル。できる限り装飾を排することで美が立ち現れると利休は信じていた。まさに「家はもらぬほど」を表したつくりだった。
利休は当時の天下人・豊臣秀吉に仕えるも、蟄居を命じられ不遇の死を遂げた。だが、彼が説いた茶の精神は三千家によって現在も受け継がれており、日本文化として発展。日本人の美意識の原型として、「わび」の精神を今に伝えている。
Loading...