CULTURE
山本理顕の名言「建築空間は単なる手段ではない。」【本と名言365】
April 8, 2024 | Culture, Architecture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。今年、プリツカー賞を受賞した建築家の山本理顕は社会性の高い建築で人々のコミュニティのあり方を再定義しつづけている。その著作で語られる山本の思想を紹介する。
建築空間は単なる手段ではない。
コミュニティのあり方に踏み込んだ個人住宅や公営住宅などの集合住宅、さらに教育施設や公共建築などで建築のあり方を問い続ける建築家が山本理顕だ。まもなく半世紀のキャリアを迎える山本は今年、建築界のノーベル賞といわれる米プリツカー賞を受賞した。
山本は師である建築家、原広司のもとで世界各地の集落を研究し、建築家となってからは公的な空間と私的な空間のあいだに横たわる「閾(しきい)」のあり方を実践してきた。近年は「地域社会圏」との表現を用い、現代社会で失われつつある人とコミュニティのつながりを重視する。プリツカー賞もまた、山本のこうした理念を高く評価した。山本の思想を丹念に記したのが『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』だ。
本書で山本は、20世紀における全体主義の惨禍に向き合い続けたことで知られる政治哲学者のハンナ・アレントによる著作『人間の条件』を軸に持論を展開する。冒頭で山本は、アレントが古代ギリシアの都市ポリスについて「私的なるものと公的なるものとの間にある一種の無人地帯」と表現する文章を非常にわかりにくいと書く。しかしその都市の成り立ちを知ると、けして難しい表現ではないと続ける。訳書で表現される「無人地帯」は原書で「ノーマンズランド」とあり、これは「どちらにも属さない場所」もしくは「どちらともつかない曖昧な場所」とすることで理解が出来る。山本が表現する「閾」こそが、まさにアレントのいう「ノーマンズランド」なのである。アレントはノーマンズランドこそが都市に暮らす人間にとって重要だといい、山本はそこから都市の目指すべき姿を語っていく。
都市と住宅のあいだにある中間領域ともいうべき「閾=ノーマンズランド」は、国家の官僚的な仕組みや経済的な利潤を求める仕組みにとってけして有効ではない。しかし、「そこに住む人たちを“結びつけると同時に分け隔てる”ための建築的装置」である「閾」の喪失こそが、人々のコミュニティーを破壊すると山本は異議を唱える。山本はバウハウスが建築家やデザイナーの主体性を介在させずに社会の要請に則ることで理論展開したからこそ、ナチスドイツの全体主義に無力だったのだと喝破する。社会、つまり国家への迎合は自らの主体性を失うことになる。だからこそ「建築空間は単なる手段ではない。」と語る。
山本は公開コンペで決定した建築計画が、首長の交代などに起因して一方的に破棄されたとしてたびたび提訴を行ってきた。市民参加によって建築計画を作り上げたことに対し、首長という権力の一元的な視点で気まぐれに契約を不履行したことへの問題提起だ。これは建築家の社会的地位を巡る問題でもある。建築家は社会的な職業であり、だからこそその計画にも社会への提言が求められる。そしてそれを貫き続ける山本の姿勢を、世界は高く評価するのだ。
コミュニティのあり方に踏み込んだ個人住宅や公営住宅などの集合住宅、さらに教育施設や公共建築などで建築のあり方を問い続ける建築家が山本理顕だ。まもなく半世紀のキャリアを迎える山本は今年、建築界のノーベル賞といわれる米プリツカー賞を受賞した。
山本は師である建築家、原広司のもとで世界各地の集落を研究し、建築家となってからは公的な空間と私的な空間のあいだに横たわる「閾(しきい)」のあり方を実践してきた。近年は「地域社会圏」との表現を用い、現代社会で失われつつある人とコミュニティのつながりを重視する。プリツカー賞もまた、山本のこうした理念を高く評価した。山本の思想を丹念に記したのが『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』だ。
本書で山本は、20世紀における全体主義の惨禍に向き合い続けたことで知られる政治哲学者のハンナ・アレントによる著作『人間の条件』を軸に持論を展開する。冒頭で山本は、アレントが古代ギリシアの都市ポリスについて「私的なるものと公的なるものとの間にある一種の無人地帯」と表現する文章を非常にわかりにくいと書く。しかしその都市の成り立ちを知ると、けして難しい表現ではないと続ける。訳書で表現される「無人地帯」は原書で「ノーマンズランド」とあり、これは「どちらにも属さない場所」もしくは「どちらともつかない曖昧な場所」とすることで理解が出来る。山本が表現する「閾」こそが、まさにアレントのいう「ノーマンズランド」なのである。アレントはノーマンズランドこそが都市に暮らす人間にとって重要だといい、山本はそこから都市の目指すべき姿を語っていく。
都市と住宅のあいだにある中間領域ともいうべき「閾=ノーマンズランド」は、国家の官僚的な仕組みや経済的な利潤を求める仕組みにとってけして有効ではない。しかし、「そこに住む人たちを“結びつけると同時に分け隔てる”ための建築的装置」である「閾」の喪失こそが、人々のコミュニティーを破壊すると山本は異議を唱える。山本はバウハウスが建築家やデザイナーの主体性を介在させずに社会の要請に則ることで理論展開したからこそ、ナチスドイツの全体主義に無力だったのだと喝破する。社会、つまり国家への迎合は自らの主体性を失うことになる。だからこそ「建築空間は単なる手段ではない。」と語る。
山本は公開コンペで決定した建築計画が、首長の交代などに起因して一方的に破棄されたとしてたびたび提訴を行ってきた。市民参加によって建築計画を作り上げたことに対し、首長という権力の一元的な視点で気まぐれに契約を不履行したことへの問題提起だ。これは建築家の社会的地位を巡る問題でもある。建築家は社会的な職業であり、だからこそその計画にも社会への提言が求められる。そしてそれを貫き続ける山本の姿勢を、世界は高く評価するのだ。
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