CULTURE
【本と名言365】赤瀬川原平|「…施主は国王である。」
March 18, 2024 | Culture, Art | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Yoko Fujimori illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。今もなお多くのカルチャーファンに愛され続ける赤瀬川原平。氏の自邸建築は、建築を手掛けるF森教授との共感と驚嘆の道のりだった。
家を建てる敷地には“工事国家”が設立される。建築家が首相、棟梁が建設大臣、施主は国王である。
「我輩は施主である。家はまだない。これから建てる」。この名文から始まる本書は、作家であり、美術家であり、路上観察者であった赤瀬川原平が初めて自身の家を建てる日々をモデルにした“建築小説”である。建築設計は盟友である建築家・藤森照信が手掛け、本書の中でも“F森教授”として準主役級の活躍を見せる。自身の建築として3作品目であり、氏の自邸で屋根にタンポポを植えた「タンポポハウス」に続き、屋根にニラを植栽する「ニラハウス」として世の注目を集めた。
まず、赤瀬川は施主を工事国家の国王と定義づける。
「家を建てると半年から一年ほどの期間、その土地に“工事国家” のようなものが設立されて運営される。その工事国家の首相は建築家であり、建設大臣は棟梁であり、その国王といえる存在が施主なのである」と。
工事に手出しはせず、国政はもっぱら首相に任せ、国王は銀行で会見したりハンコを押したり名刺を交換したりと“外交”を行うのだ。
そして、まず国家には「国土」が必要であり、赤瀬川はその土地の購入に翻弄されるのだが、そもそも地球の持ち物である土地を「買う」という行為に疑問符を投げかける。製造した商品でなく、古来よりそこにある“場所”を売り買いするのはおかしいのではないか。そうした純真無垢な子供時代に抱き、大人になるにつれ忘れてしまう素朴かつ原初的疑問に対し、土地は所有するのでなく「占有権」を買うことなのだと大人の分析をし、読み手も大いに納得するのである。
1986年に赤瀬川が発足した「路上観察学会」の会員でもあるF森教授とは周知の中であり、F森教授の行動力や瞬発力について、尊敬を込めて「頭にぎっしり知識の詰まった野蛮人」と評する。このF森教授が建築家=首相をつとめる工事国家なのだから、当然ながら想像を超える提案の連続となる。施主(国王)自ら長野の山で材木を切り出し、鉈で丸太をはつり、屋根にニラを植えるのである。
F森教授の出身地・長野県茅野市に伝わる縄文人の伝説にちなみ、氏を「縄文の男」と呼び、プロが面倒臭がってやらない古来の施工法に果敢に挑戦する建築素人集団、その名も「縄文建築団」が誕生した。この集団は「ニラハウス」完成に大きな役割を果たし、のちの茶室シリーズなど歴代の藤森建築作品を支える重要な労働源となり続けている。
「家には夢があり、身の回りには現実がある」
これも名言だろう。著名な美術家であっても、広いアトリエは欲しいが、限られた面積の中でキッチンなど共有スペースが優先されていく。夢と現実を右往左往しながら、建築家の作品だった「建造物」がやがて「住居」へと脱皮していく様は、読み手に多くの共感と高揚感をもたらす。赤瀬川らしい秀逸な比喩と名言によって、「家を建てる」という大きな夢を見せてくれるのだ。
「我輩は施主である。家はまだない。これから建てる」。この名文から始まる本書は、作家であり、美術家であり、路上観察者であった赤瀬川原平が初めて自身の家を建てる日々をモデルにした“建築小説”である。建築設計は盟友である建築家・藤森照信が手掛け、本書の中でも“F森教授”として準主役級の活躍を見せる。自身の建築として3作品目であり、氏の自邸で屋根にタンポポを植えた「タンポポハウス」に続き、屋根にニラを植栽する「ニラハウス」として世の注目を集めた。
まず、赤瀬川は施主を工事国家の国王と定義づける。
「家を建てると半年から一年ほどの期間、その土地に“工事国家” のようなものが設立されて運営される。その工事国家の首相は建築家であり、建設大臣は棟梁であり、その国王といえる存在が施主なのである」と。
工事に手出しはせず、国政はもっぱら首相に任せ、国王は銀行で会見したりハンコを押したり名刺を交換したりと“外交”を行うのだ。
そして、まず国家には「国土」が必要であり、赤瀬川はその土地の購入に翻弄されるのだが、そもそも地球の持ち物である土地を「買う」という行為に疑問符を投げかける。製造した商品でなく、古来よりそこにある“場所”を売り買いするのはおかしいのではないか。そうした純真無垢な子供時代に抱き、大人になるにつれ忘れてしまう素朴かつ原初的疑問に対し、土地は所有するのでなく「占有権」を買うことなのだと大人の分析をし、読み手も大いに納得するのである。
1986年に赤瀬川が発足した「路上観察学会」の会員でもあるF森教授とは周知の中であり、F森教授の行動力や瞬発力について、尊敬を込めて「頭にぎっしり知識の詰まった野蛮人」と評する。このF森教授が建築家=首相をつとめる工事国家なのだから、当然ながら想像を超える提案の連続となる。施主(国王)自ら長野の山で材木を切り出し、鉈で丸太をはつり、屋根にニラを植えるのである。
F森教授の出身地・長野県茅野市に伝わる縄文人の伝説にちなみ、氏を「縄文の男」と呼び、プロが面倒臭がってやらない古来の施工法に果敢に挑戦する建築素人集団、その名も「縄文建築団」が誕生した。この集団は「ニラハウス」完成に大きな役割を果たし、のちの茶室シリーズなど歴代の藤森建築作品を支える重要な労働源となり続けている。
「家には夢があり、身の回りには現実がある」
これも名言だろう。著名な美術家であっても、広いアトリエは欲しいが、限られた面積の中でキッチンなど共有スペースが優先されていく。夢と現実を右往左往しながら、建築家の作品だった「建造物」がやがて「住居」へと脱皮していく様は、読み手に多くの共感と高揚感をもたらす。赤瀬川らしい秀逸な比喩と名言によって、「家を建てる」という大きな夢を見せてくれるのだ。
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