CULTURE
【本と名言365】ジャン=ミシェル・バスキア|「僕は「黒」を主役として扱う。それは僕が黒人だから。」
March 13, 2024 | Culture, Art | photo_Yuki Sonoyama text_Mariko Uramoto illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。1980年代のアートシーンで瞬く間にスターダムに昇り詰めたジャン=ミシェル・バスキア。一見子どもの落書きのような奔放な筆致で描かれた彼の作品が高い評価を受ける理由は?バスキアが語った言葉から紐解きます。
僕は「黒」を主役として扱う。それは僕が黒人だから。
17歳から地下鉄の駅や建物の壁などでグラフィティアートを描き始め、注目を集めたジャン=ミシェル・バスキア。20代初めには有名ギャラリーや美術館で作品を展示し、同時代に活躍したアンディ・ウォーホルやキース・ヘリングなどと親交を深めながら、NYの現代アートの中心的な存在へ。だが、圧倒的な成功の裏で彼の精神は徐々に不安的になり、薬物に蝕まれるように。類い稀な才能は27歳という若さで突然の終わりを迎える。
彼の作品にはあるメッセージが込められている。それは黒人差別に対する怒りや悲しみだ。1985年、NYのトニー・シャフラジー・ギャラリーでアンディ・ウォーホルとともに受けたインタビューでバスキアはこう語っている。「アートの世界ではないがしろにされてきた人々がたくさんいると思う。(中略)これまで黒人は現実的には描かれてこなかった。(中略)僕は『黒』を主役として扱う。それは僕が黒人だから」。
バスキアが登場するまで、アート界はヨーロッパ中心の白人至上主義だった。だが、アカデミックな美術教育を受けず、ストリートから頭角を表したアメリカ生まれの黒人の若者が圧倒的なエネルギーで従来のアート界の構造を破壊してしまった。バスキアは「黒人アーティスト」とカテゴライズされることを嫌ったが、作品には黒人の偉人や音楽、文化といった黒人の間で愛されるカルチャーをモチーフとして度々登場させ、黒人のリアリティを描いた。そのインパクトが彼の評価を揺るがないものにしている。
17歳から地下鉄の駅や建物の壁などでグラフィティアートを描き始め、注目を集めたジャン=ミシェル・バスキア。20代初めには有名ギャラリーや美術館で作品を展示し、同時代に活躍したアンディ・ウォーホルやキース・ヘリングなどと親交を深めながら、NYの現代アートの中心的な存在へ。だが、圧倒的な成功の裏で彼の精神は徐々に不安的になり、薬物に蝕まれるように。類い稀な才能は27歳という若さで突然の終わりを迎える。
彼の作品にはあるメッセージが込められている。それは黒人差別に対する怒りや悲しみだ。1985年、NYのトニー・シャフラジー・ギャラリーでアンディ・ウォーホルとともに受けたインタビューでバスキアはこう語っている。「アートの世界ではないがしろにされてきた人々がたくさんいると思う。(中略)これまで黒人は現実的には描かれてこなかった。(中略)僕は『黒』を主役として扱う。それは僕が黒人だから」。
バスキアが登場するまで、アート界はヨーロッパ中心の白人至上主義だった。だが、アカデミックな美術教育を受けず、ストリートから頭角を表したアメリカ生まれの黒人の若者が圧倒的なエネルギーで従来のアート界の構造を破壊してしまった。バスキアは「黒人アーティスト」とカテゴライズされることを嫌ったが、作品には黒人の偉人や音楽、文化といった黒人の間で愛されるカルチャーをモチーフとして度々登場させ、黒人のリアリティを描いた。そのインパクトが彼の評価を揺るがないものにしている。
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