CULTURE
【本と名言365】アンリ・カルティエ=ブレッソン|「写真は何物でもない。…」
February 28, 2024 | Culture, Art | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Kentaro Wada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。スナップ写真の先駆者として、20世紀の写真表現を切り拓いたアンリ・カルティエ=ブレッソン。パリを中心に世界中を旅しながら、市井の風景を撮り歩いた写真家が考える「写真」とは。
写真は何物でもない。私が興味を持っているものは人生そのものだ。
1908年、織物製造業を営む両親のもとに生まれ育ったアンリ・カルティエ=ブレッソン。幼い頃から芸術に関心を持ち、シュールレアリスムやキュビズムに傾倒する少年時代を送った。美術家を夢見るなか、写真の道へ進む転機となったのは20代前半の頃。アメリカの芸術家マン・レイの作品に刺激を受け、写真を撮り始めたことがそのきっかけとなった。
20代後半にはアメリカで映画を学んだブレッソンが写真家として大成しはじめたのは、第二次世界大戦後のこと。1947年にロバート・キャパらとともに写真家集団「マグナム・フォト」を創立し、撮影のため各国を訪問。1932年から1952年に撮影した写真を集成した写真集『決定的瞬間』が世界中の写真家に影響を与え、以後ブレッソンの代名詞として扱われるようになった。
しかし、ブレッソンの写真は決して「貴重な瞬間」を撮ったものではない。人々の営みや街の景色などありふれた日常の光景を美しくフレームに収めることこそが、ブレッソンにとっての「決定的瞬間」だった。「私は写真のプロセスには全く興味がない」という言葉を体現するように、晩年は写真の世界から離れ、画家として活動したブレッソン。世界を代表する写真家が追い求めたのは、技術を磨くことや特別な光景を探すことではなく、独自の審美眼で捉えたワンシーンをあるがままに表現することだった。
1908年、織物製造業を営む両親のもとに生まれ育ったアンリ・カルティエ=ブレッソン。幼い頃から芸術に関心を持ち、シュールレアリスムやキュビズムに傾倒する少年時代を送った。美術家を夢見るなか、写真の道へ進む転機となったのは20代前半の頃。アメリカの芸術家マン・レイの作品に刺激を受け、写真を撮り始めたことがそのきっかけとなった。
20代後半にはアメリカで映画を学んだブレッソンが写真家として大成しはじめたのは、第二次世界大戦後のこと。1947年にロバート・キャパらとともに写真家集団「マグナム・フォト」を創立し、撮影のため各国を訪問。1932年から1952年に撮影した写真を集成した写真集『決定的瞬間』が世界中の写真家に影響を与え、以後ブレッソンの代名詞として扱われるようになった。
しかし、ブレッソンの写真は決して「貴重な瞬間」を撮ったものではない。人々の営みや街の景色などありふれた日常の光景を美しくフレームに収めることこそが、ブレッソンにとっての「決定的瞬間」だった。「私は写真のプロセスには全く興味がない」という言葉を体現するように、晩年は写真の世界から離れ、画家として活動したブレッソン。世界を代表する写真家が追い求めたのは、技術を磨くことや特別な光景を探すことではなく、独自の審美眼で捉えたワンシーンをあるがままに表現することだった。
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