CULTURE
【本と名言365】坂田和實|「私が美しいと思うモノと、他人が…」
February 21, 2024 | Culture, Design | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。深い知識とものへの愛情、そして独自の美意識でさまざまな人物に大きな影響を与えた骨董商、坂田和實。遺作となったエッセイに記された言葉から、その考えを紐解いていこう。
私が美しいと思うモノと、他人が美しいと思うモノが違うことは、考えてみれば当り前。
東京・目白で坂田和實が営んだ〈古道具 坂田〉は、さまざまな人物に大きな影響を与えた店であった。坂田独自の美意識が貫かれた店は、人々が道具に抱いていた概念を変え、後進に大きな影響を与えた。建築、陶芸、アート、ファッションなどの各界を第一線で活躍する人物が顧客に名を連ねたことからも、坂田の仕事がいかに多くへ影響を与えたかを知ることが出来る。
坂田が古道具店を開いたのは1973年。拾ってきた木製の折りたたみ椅子を200円で売るところから始まったというエピソードは坂田を知る人々に有名だ。時代とともに高額なアンティークの椅子を売る時代も訪れたというが、坂田はそれに違和感を覚えたという。普通の用途のためにつくられたモノこそが「道具」であるとし、それらを扱うようになって気が楽になった。渋谷区立松濤美術館で開いた展覧会『古道具、その行き先−坂田和實の40年』の時期、坂田は長い時間をかけて最初の地点に回り戻った感覚があると語った。
坂田は2冊の本を遺した。坂田の死後に刊行された『古道具もの語り』は、東海道新幹線の車内誌で連載されたエッセイ集だ。その文章は30の物を取り上げながら、物への深い知識と洞察、愛情を持って綴られる。先に刊行された『ひとりよがりものさし』は雑誌『芸術新潮』に連載されたもので、本書はその続編的な立ち位置にある。『古道具もの語り』で坂田が記した言葉は前著より軽やかになり、時間とともに坂田の視点もまた変化していることがわかる。
本書で坂田がはじめに取り上げるのは「李朝虱取り受け紙」だ。名の通りの役目を果たす紙で、坂田は世間からぼろ紙に見られようと「もし若い頃にこの紙に出会っていたら、そのなんともない美しさに気づかず、見過していたことでしょう。私もようやく大人になって、やっと自分の好きなモノ、寄り添って生活を共にすることができるモノが解るようになってきたのかもしれません」と書く。さらに「私が美しいと思うモノと、他人が美しいと思うモノが違うことは、考えてみれば当り前」と続ける。クラシック、ジャズ、演歌、それぞれを愛する人がいるから面白く、健全なのだとする坂田の言葉は軽妙でいながら深い共感を誘う。
千利休と柳宗悦を尊敬した坂田の視点は、先人のようにものへの愛情と価値を次なるステージへ進めた。アジア、アフリカ、ヨーロッパの時代を超えた品々から、雑巾や携帯電話まで。ものを愛でるとはなにかを、いま坂田の言葉からあらためて考えたい。
東京・目白で坂田和實が営んだ〈古道具 坂田〉は、さまざまな人物に大きな影響を与えた店であった。坂田独自の美意識が貫かれた店は、人々が道具に抱いていた概念を変え、後進に大きな影響を与えた。建築、陶芸、アート、ファッションなどの各界を第一線で活躍する人物が顧客に名を連ねたことからも、坂田の仕事がいかに多くへ影響を与えたかを知ることが出来る。
坂田が古道具店を開いたのは1973年。拾ってきた木製の折りたたみ椅子を200円で売るところから始まったというエピソードは坂田を知る人々に有名だ。時代とともに高額なアンティークの椅子を売る時代も訪れたというが、坂田はそれに違和感を覚えたという。普通の用途のためにつくられたモノこそが「道具」であるとし、それらを扱うようになって気が楽になった。渋谷区立松濤美術館で開いた展覧会『古道具、その行き先−坂田和實の40年』の時期、坂田は長い時間をかけて最初の地点に回り戻った感覚があると語った。
坂田は2冊の本を遺した。坂田の死後に刊行された『古道具もの語り』は、東海道新幹線の車内誌で連載されたエッセイ集だ。その文章は30の物を取り上げながら、物への深い知識と洞察、愛情を持って綴られる。先に刊行された『ひとりよがりものさし』は雑誌『芸術新潮』に連載されたもので、本書はその続編的な立ち位置にある。『古道具もの語り』で坂田が記した言葉は前著より軽やかになり、時間とともに坂田の視点もまた変化していることがわかる。
本書で坂田がはじめに取り上げるのは「李朝虱取り受け紙」だ。名の通りの役目を果たす紙で、坂田は世間からぼろ紙に見られようと「もし若い頃にこの紙に出会っていたら、そのなんともない美しさに気づかず、見過していたことでしょう。私もようやく大人になって、やっと自分の好きなモノ、寄り添って生活を共にすることができるモノが解るようになってきたのかもしれません」と書く。さらに「私が美しいと思うモノと、他人が美しいと思うモノが違うことは、考えてみれば当り前」と続ける。クラシック、ジャズ、演歌、それぞれを愛する人がいるから面白く、健全なのだとする坂田の言葉は軽妙でいながら深い共感を誘う。
千利休と柳宗悦を尊敬した坂田の視点は、先人のようにものへの愛情と価値を次なるステージへ進めた。アジア、アフリカ、ヨーロッパの時代を超えた品々から、雑巾や携帯電話まで。ものを愛でるとはなにかを、いま坂田の言葉からあらためて考えたい。
Loading...