CULTURE
【本と名言365】ソール・ライター|「私が写真を撮るのは自宅の…」
November 17, 2023 | Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Keiko Kamijo illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。真っ白な雪の中赤い傘を差して歩く人、雨粒がついたガラス越しに行き交う人々。大胆な構図と色遣い、被写体との距離……。ニューヨークが生んだ伝説の写真家、ソール・ライターが語った人生哲学。
私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ。
1946年、22歳の時にユダヤ教の神学校を辞め画家になるべくニューヨークを目指した、ソール・ライター(1923-2013)。1952年よりニューヨークのイースト・ヴィレッジ(当時は「ロウアー・イーストサイド」と呼ばれていた)に居を構え、近所を散歩しながら、淡々と写真を撮り続けた。当時のロウアー・イーストサイドは移民も多く家賃も安かったため芸術家を目指す若者が多い街であり、独特のエネルギーを醸し出していた。写真の技術を習得したライターは後に写真で名声を得るが、彼は自身のことを画家だととらえ、絵を描くことを欠かさなかった。
1958年によりヘンリー・ウルフがアートディレクターを務める『ハーパース・バザー』のファッションページを担当、その後、複数のファッション誌でライターは活躍することになる。一時期は5番街にスタジオを構える程の盛況ぶりであったが、だんだん考え方が合わなくなった。81年にスタジオを閉鎖後は、再びイースト・ヴィレッジへと戻り、自身のために作品を制作する、隠遁生活のような日々が始まった。
「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」
94年、再度ライターの人生は動き出す。英国の写真感材メーカーであるイルフォードからの資金を得て、ライターが40年代から50年代にかけて撮影したカラー写真が初めてプリントされ、ニューヨークの老舗写真ギャラリーで個展が開催されたのだ。それらの写真は、2006年にドイツのシュタイデル社から作品集『Early Color』として出版された。80歳を過ぎた写真家に世界の注目が集まった。
2012年には、ライターを追ったドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』も製作され(日本公開は2015年、字幕翻訳は柴田元幸が担当した)、彼の自分を貫くスタイルや生き方は多くの共感をもたらした。2013年、彼がこの世を去った後、アトリエには膨大な作品や資料が残された。ライターのアシスタントを長年にわたり務めたマギアット・アーブを代表に、財団が設立され作品のアーカイブプロジェクトが始まった。日本でもソール・ライターの展覧会が開催され、写真や絵画とともに彼の人生が紹介された。
「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ。」
ボナールの絵画をこよなく愛し、浮世絵や禅に大きな関心を寄せたソール・ライター。富や名声といったことよりも身近な存在に慈しみのまなざしを向け、自身の確固たるスタイルを守り続けた彼の生き方は、今を生きる私たちに多くのことを教えてくれるだろう。
1946年、22歳の時にユダヤ教の神学校を辞め画家になるべくニューヨークを目指した、ソール・ライター(1923-2013)。1952年よりニューヨークのイースト・ヴィレッジ(当時は「ロウアー・イーストサイド」と呼ばれていた)に居を構え、近所を散歩しながら、淡々と写真を撮り続けた。当時のロウアー・イーストサイドは移民も多く家賃も安かったため芸術家を目指す若者が多い街であり、独特のエネルギーを醸し出していた。写真の技術を習得したライターは後に写真で名声を得るが、彼は自身のことを画家だととらえ、絵を描くことを欠かさなかった。
1958年によりヘンリー・ウルフがアートディレクターを務める『ハーパース・バザー』のファッションページを担当、その後、複数のファッション誌でライターは活躍することになる。一時期は5番街にスタジオを構える程の盛況ぶりであったが、だんだん考え方が合わなくなった。81年にスタジオを閉鎖後は、再びイースト・ヴィレッジへと戻り、自身のために作品を制作する、隠遁生活のような日々が始まった。
「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」
94年、再度ライターの人生は動き出す。英国の写真感材メーカーであるイルフォードからの資金を得て、ライターが40年代から50年代にかけて撮影したカラー写真が初めてプリントされ、ニューヨークの老舗写真ギャラリーで個展が開催されたのだ。それらの写真は、2006年にドイツのシュタイデル社から作品集『Early Color』として出版された。80歳を過ぎた写真家に世界の注目が集まった。
2012年には、ライターを追ったドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』も製作され(日本公開は2015年、字幕翻訳は柴田元幸が担当した)、彼の自分を貫くスタイルや生き方は多くの共感をもたらした。2013年、彼がこの世を去った後、アトリエには膨大な作品や資料が残された。ライターのアシスタントを長年にわたり務めたマギアット・アーブを代表に、財団が設立され作品のアーカイブプロジェクトが始まった。日本でもソール・ライターの展覧会が開催され、写真や絵画とともに彼の人生が紹介された。
「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ。」
ボナールの絵画をこよなく愛し、浮世絵や禅に大きな関心を寄せたソール・ライター。富や名声といったことよりも身近な存在に慈しみのまなざしを向け、自身の確固たるスタイルを守り続けた彼の生き方は、今を生きる私たちに多くのことを教えてくれるだろう。
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