CULTURE
【本と名言365】フランク・ゲーリー|「建築は集団の技だ。」
October 30, 2023 | Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。唯一無二の独創的な建築で知られるフランク・ゲーリー。その建築は、多くの人が関わるからこそ生まれるのだと語る。
建築は集団の技だ。
時代に名を刻む建築家には人々の無理解に打ち勝ってきた人物が少なくない。コンクリート打ち放しの建築を未完成だと揶揄された安藤忠雄、前例のない造形に実現不可能と言われ続けたザハ・ハディド……そんな建築家の代表格にフランク・ゲーリーも挙げることが出来るだろう。彼らは自らの建築をもって人々の意識を変え、歴史を変えてきた。
1997年に開館した《ビルバオ・グッゲンハイム美術館》は、ゲーリーの評価を広く一般に開いた建築だ。しかし建築はよく知られるが、ゲーリーがどのような考えに基づいて建築を生みだしているかが知られているとは言いがたい。自ら自伝をつくりたいと著者に声をかけた『フランク・ゲーリー 建築の話をしよう』でゲーリーは、真摯に自作を語る。さらに彼は自身のキャリアを振り返りつつ、差別、貧困、クライアントとの齟齬などと戦ってきた歴史まで語り尽くしている。
ゲーリーは1929年、カナダ・トロントで生まれた。高校を卒業すると家族でロサンゼルスへ移住。彼は働きながら、ロサンゼルス・シティ・カレッジの夜間クラスで美術と建築、南カリフォルニア大学の時間外プログラムで美術史や陶芸を学んだ。さらに南カリフォルニア大学で建築学士号を取得。この年に第一子が生まれ、ゲーリーは反ユダヤ主義の影響を避けるために本来の名であるフランク・イーフレイム・ゴールドバーグからフランク・オーウェン・ゲーリーへと名を変える。その後は陸軍に徴兵され、除隊後にハーバード大学デザイン大学院で都市計画を学んだ。さらにアメリカやフランスの設計事務所などに勤め、1967年に独立。1978年に安価なリノベーションによる自邸を発表すると、ゲーリーの仕事は注目されるようになる。
個性的な形状から誤解されがちだが、ゲーリーのアイデアはあくまで理論的に構築されたものだ。プロジェクトとともにそのロジックを『フランク・ゲーリー 建築の話をしよう』で語っているが、それとともにどのように実現へと結びつけたのかを語る。そこにはさまざまな状況が絡み合い、クライアントとの関係性などに粘り強く立ち向かうことで建築を現実のものとしていくゲーリーの姿が見られる。彼は「建築は集団の技だ」という。その個性的な仕事を実現するために、人との縁、他者との協調、コミュニケーションを幾度にわたって語るゲーリーの姿は印象的だ。一人の類い希なるクリエイションをもとにしつつ、建築は多くの人々が関わらねば完成を見ない。あの不思議な建築こそ、チームワークが要であるとゲーリーは語っているのだ。
時代に名を刻む建築家には人々の無理解に打ち勝ってきた人物が少なくない。コンクリート打ち放しの建築を未完成だと揶揄された安藤忠雄、前例のない造形に実現不可能と言われ続けたザハ・ハディド……そんな建築家の代表格にフランク・ゲーリーも挙げることが出来るだろう。彼らは自らの建築をもって人々の意識を変え、歴史を変えてきた。
1997年に開館した《ビルバオ・グッゲンハイム美術館》は、ゲーリーの評価を広く一般に開いた建築だ。しかし建築はよく知られるが、ゲーリーがどのような考えに基づいて建築を生みだしているかが知られているとは言いがたい。自ら自伝をつくりたいと著者に声をかけた『フランク・ゲーリー 建築の話をしよう』でゲーリーは、真摯に自作を語る。さらに彼は自身のキャリアを振り返りつつ、差別、貧困、クライアントとの齟齬などと戦ってきた歴史まで語り尽くしている。
ゲーリーは1929年、カナダ・トロントで生まれた。高校を卒業すると家族でロサンゼルスへ移住。彼は働きながら、ロサンゼルス・シティ・カレッジの夜間クラスで美術と建築、南カリフォルニア大学の時間外プログラムで美術史や陶芸を学んだ。さらに南カリフォルニア大学で建築学士号を取得。この年に第一子が生まれ、ゲーリーは反ユダヤ主義の影響を避けるために本来の名であるフランク・イーフレイム・ゴールドバーグからフランク・オーウェン・ゲーリーへと名を変える。その後は陸軍に徴兵され、除隊後にハーバード大学デザイン大学院で都市計画を学んだ。さらにアメリカやフランスの設計事務所などに勤め、1967年に独立。1978年に安価なリノベーションによる自邸を発表すると、ゲーリーの仕事は注目されるようになる。
個性的な形状から誤解されがちだが、ゲーリーのアイデアはあくまで理論的に構築されたものだ。プロジェクトとともにそのロジックを『フランク・ゲーリー 建築の話をしよう』で語っているが、それとともにどのように実現へと結びつけたのかを語る。そこにはさまざまな状況が絡み合い、クライアントとの関係性などに粘り強く立ち向かうことで建築を現実のものとしていくゲーリーの姿が見られる。彼は「建築は集団の技だ」という。その個性的な仕事を実現するために、人との縁、他者との協調、コミュニケーションを幾度にわたって語るゲーリーの姿は印象的だ。一人の類い希なるクリエイションをもとにしつつ、建築は多くの人々が関わらねば完成を見ない。あの不思議な建築こそ、チームワークが要であるとゲーリーは語っているのだ。
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