ART
「激写」で知られた篠山紀信が逝去。建築にも独自の視線を向けた巨匠を悼む。
January 5, 2024 | Art | casabrutus.com | photo_Takuya Neda text_Naoko Aono editor_Keiko Kusano
2024年1月4日、写真家の篠山紀信が逝去した。享年83歳だった。
篠山紀信は1940年、東京・円照寺の住職の息子として生まれる。日本大学芸術学部写真学科と東京綜合写真専門学校で学び、日大在学中にライトパブリシティに入社、1968年に独立する。よく知られたタレントのポートレイトだけでなく、東京という都市のポートレイトとでもいうべき「PHANTOM」シリーズや、磯崎新と世界の名建築を取材した「建築行脚」など幅広く活躍した。1976年の第37回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展では磯崎新の会場構成で、「家」を被写体に篠山が撮った写真を展示している。近年も「写真の力」(2012〜2019年まで各地を巡回)、〈原美術館〉(2016年)、〈光の美術館〉(清春芸術村、2018年)、〈東京都写真美術館〉(2021年)などで個展を開催してきた。
60年以上のキャリアを持つ巨匠だが、そんなことを微塵も感じさせないサービス精神の持ち主でもあった。いつもにこにこと微笑みながら相手を笑わせようと次々とジョークを繰り出した。建築家の磯崎新(2022年12月逝去)についてもこんな思い出話をしている。
「磯崎さんは前にガウディを見に行くときに僕を誘ってくれたんです。僕は当時ミノルタのカメラを使っていて、レンズもたくさん持っていたので磯崎さんもミノルタを買って、レンズを交換しながら撮ることになった。でも僕の撮る場所と磯崎さんの撮る場所は全然違うんです。それであるとき、磯崎さんと同じレンズで同じ場所に立ってファインダーをのぞいてみたらちっとも面白くない(笑)。でも、磯崎さんは建築の“軸”を見抜いてるんですね。僕は本能や直感で撮っている。磯崎さんが行くのはいい建築ばかりだった」(2016年に〈原美術館〉で行われた『篠山紀信展「快楽の館」』取材時の発言より抜粋)
建築にも独自の視線を向けた巨匠の冥福を祈りたい。
「磯崎さんは前にガウディを見に行くときに僕を誘ってくれたんです。僕は当時ミノルタのカメラを使っていて、レンズもたくさん持っていたので磯崎さんもミノルタを買って、レンズを交換しながら撮ることになった。でも僕の撮る場所と磯崎さんの撮る場所は全然違うんです。それであるとき、磯崎さんと同じレンズで同じ場所に立ってファインダーをのぞいてみたらちっとも面白くない(笑)。でも、磯崎さんは建築の“軸”を見抜いてるんですね。僕は本能や直感で撮っている。磯崎さんが行くのはいい建築ばかりだった」(2016年に〈原美術館〉で行われた『篠山紀信展「快楽の館」』取材時の発言より抜粋)
建築にも独自の視線を向けた巨匠の冥福を祈りたい。