ART
杉本博司が導かれた春日信仰の神道美術を、金沢文庫へ見に行こう。
| Art, Culture, Design | casabrutus.com | text_Mari Matsubara editor_Keiko Kusano
杉本博司によって収集された春日系の神道美術作品を所蔵する小田原文化財団と〈神奈川県立金沢文庫〉の共催で特別展『春日神霊の旅 ―杉本博司 常陸から大和へ』が開催されている。
神道には八幡系、熊野系、稲荷系など様々な系譜があり、春日大社の系統を「春日系」と呼ぶのだが、その春日大社ゆかりの美術品「春日物」に取り憑かれてきたのが、現代美術作家の杉本博司だ。
神護景雲2年(768年)、奈良・御蓋山の麓に常陸国(茨城県)の〈鹿島神宮〉から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)と、下総国(千葉県)〈香取神宮〉から経津主命(フツヌシノミコト)が降臨して造営されたのが、奈良県の〈春日大社〉といわれている。その際、神は鹿の背にのって東国から大和へと旅をした。こうした縁起を礼拝するものとして、〈春日大社〉の空撮図ともいえる《春日宮曼荼羅》や、神鹿の姿を写した《春日鹿曼荼羅》《神鹿像》などが当時たくさん作られた。
杉本がニューヨークで現代美術作家の傍ら骨董商としても活動していた1985年ごろに《春日鹿曼荼羅》を入手して以来、春日大社にまつわる美術品の本格的な収集が始まったという。
「私は古美術収集の過程で、30代に春日鹿曼荼羅を入手し得たことによって、そしてその畫を毎日見続けることによって、その畫の精髄を我が身に浸透させることができたような気がした。それからというもの、不思議なことに私が探し回るよりも先に、春日信仰に関連する古物が私の目の前に立ち現れるようになっていった。私には拒否権はないのだ。」(杉本博司「春日神霊の旅に寄せて」より抜粋)
展覧会には、春日大社や金沢文庫のほか、ゆかりのある寺社、個人蔵の貴重な作品も多く展示されている。
神護景雲2年(768年)、奈良・御蓋山の麓に常陸国(茨城県)の〈鹿島神宮〉から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)と、下総国(千葉県)〈香取神宮〉から経津主命(フツヌシノミコト)が降臨して造営されたのが、奈良県の〈春日大社〉といわれている。その際、神は鹿の背にのって東国から大和へと旅をした。こうした縁起を礼拝するものとして、〈春日大社〉の空撮図ともいえる《春日宮曼荼羅》や、神鹿の姿を写した《春日鹿曼荼羅》《神鹿像》などが当時たくさん作られた。
杉本がニューヨークで現代美術作家の傍ら骨董商としても活動していた1985年ごろに《春日鹿曼荼羅》を入手して以来、春日大社にまつわる美術品の本格的な収集が始まったという。
「私は古美術収集の過程で、30代に春日鹿曼荼羅を入手し得たことによって、そしてその畫を毎日見続けることによって、その畫の精髄を我が身に浸透させることができたような気がした。それからというもの、不思議なことに私が探し回るよりも先に、春日信仰に関連する古物が私の目の前に立ち現れるようになっていった。私には拒否権はないのだ。」(杉本博司「春日神霊の旅に寄せて」より抜粋)
展覧会には、春日大社や金沢文庫のほか、ゆかりのある寺社、個人蔵の貴重な作品も多く展示されている。
杉本が手に入れた神道美術品の中でもとりわけ重要かつ大型なのが平安時代の《十一面観音立像》だ。
仏教の和様化が進み、日本古来の霊木信仰とも結びつき、さらに仏教の諸尊が本地となって神の姿となって現れたのだと考える「本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想」が生まれた。杉本はこの観音像の頭頂の、本来あるはずの目や鼻のない面々を眺めているうちに、これは霊木に神像を彫り進めるうちに十一面観音が降臨し、次第にその姿を現す途中なのだと気がついたのだという。自身の念持仏(個人が毎日の礼拝のために所有する仏像)として毎日眺めて暮らしてきたというこの像も、杉本の美術作品である五輪塔とともに1階に展示されている。
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