ART
“創造”と向き合う内藤礼が、六本木で新作を発表。
| Art | casabrutus.com | text_Yuka Uchida editor_Keiko Kusano
〈水戸芸術館現代美術ギャラリー〉、〈金沢21世紀美術館〉での大規模個展が続いた内藤礼が、六本木の〈タカ・イシイギャラリー〉で新作を発表。都市の中に見出した“窓”が、新しい光景を創り出します。
内藤礼はこれまで、制作を通して『「人(わたし)が作る」を超えること』を問い続けてきた。今年開催された〈金沢21世紀美術館〉での個展『うつしあう創造』で、はじめて “創造” と向き合った作家が、その先に何を見たのか。東京・六本木の〈タカ・イシイギャラリー〉で開催される今展には、内藤が今、見つめる生の瞬間とビジョンが現れる。
会場に入るとまず、空間の奥から流れる柔らかな光を受ける立体作品が目に入る。その光を辿りゆっくりと歩みを進めると、空を臨む絵画作品に出合うことになる。2005年から続く絵画シリーズ《color beginning》だ。これらの作品一つひとつが、ギャラリーの大きな窓から差し込む自然光を受け、六本木という都市の中にひとつの空間を生み出している。
今展についてのインタビューで、内藤はひとつのステートメントを提示してくれた。
「この展覧会にタイトルやテーマはないのだろうとおもいました。
心が動いたのはそこにあった物でした。
いつもそこにある素晴らしさ。
わたしは窓を見つけました。
そこから外を見ると思います。ここは現在の六本木なのだ。
そして、ここには空、光、昼と夜が!
窓を待ち望んでいました。
部屋で絵を描いているとき、
そこには窓があり、画面は窓と向き合っています。
光のなかで、こちらへとゆっくり顕われてくるものがわたしには見える。
光と色彩と眼は、一つの生気でしょうか。
安定ではなく見るたびに別のものであるそれはわたしを揺すぶる。
窓の前で、絵画は壁から離れ、光と色彩と眼の元に。
その空間には、いくつかの小さなものがあるのでしょう。
それがなければそのときがそのときでなくなってしまうものが」
六本木で見つけた窓と、制作の場にある窓を重ねる内藤。絵画は壁から離れ、窓の前で光を受けることによって、鑑賞者の目を導くように色彩が顕われる。
空間に潜む小さなものたちが紡ぐ光景。それは、そのものたちを眺めていない束の間にも、確かに生の瞬間が在るということを教えてくれる。そして、内藤のこれまでの作品と同様に、自己と他者、生と死、内と外、目に見えるものと見えないものなどに意識を向けさせてくれるはずだ。内藤の言葉をヒントに、六本木に現れるいま、ここだけの空間に足を運んでみたい。
会場に入るとまず、空間の奥から流れる柔らかな光を受ける立体作品が目に入る。その光を辿りゆっくりと歩みを進めると、空を臨む絵画作品に出合うことになる。2005年から続く絵画シリーズ《color beginning》だ。これらの作品一つひとつが、ギャラリーの大きな窓から差し込む自然光を受け、六本木という都市の中にひとつの空間を生み出している。
今展についてのインタビューで、内藤はひとつのステートメントを提示してくれた。
「この展覧会にタイトルやテーマはないのだろうとおもいました。
心が動いたのはそこにあった物でした。
いつもそこにある素晴らしさ。
わたしは窓を見つけました。
そこから外を見ると思います。ここは現在の六本木なのだ。
そして、ここには空、光、昼と夜が!
窓を待ち望んでいました。
部屋で絵を描いているとき、
そこには窓があり、画面は窓と向き合っています。
光のなかで、こちらへとゆっくり顕われてくるものがわたしには見える。
光と色彩と眼は、一つの生気でしょうか。
安定ではなく見るたびに別のものであるそれはわたしを揺すぶる。
窓の前で、絵画は壁から離れ、光と色彩と眼の元に。
その空間には、いくつかの小さなものがあるのでしょう。
それがなければそのときがそのときでなくなってしまうものが」
六本木で見つけた窓と、制作の場にある窓を重ねる内藤。絵画は壁から離れ、窓の前で光を受けることによって、鑑賞者の目を導くように色彩が顕われる。
空間に潜む小さなものたちが紡ぐ光景。それは、そのものたちを眺めていない束の間にも、確かに生の瞬間が在るということを教えてくれる。そして、内藤のこれまでの作品と同様に、自己と他者、生と死、内と外、目に見えるものと見えないものなどに意識を向けさせてくれるはずだ。内藤の言葉をヒントに、六本木に現れるいま、ここだけの空間に足を運んでみたい。
『内藤礼 展覧会』
〈タカ・イシイギャラリー〉
東京都港区六本木6-5-24 complex665 3F TEL 03 6434 7010。12時〜18時。日曜・月曜・祝日休。〜2020年12月26日まで。
