ART
ピカソ《ゲルニカ》をどこまで読み解けるか? 〈ソフィア王妃芸術センター〉でオンライン展が公開中。
May 31, 2020 | Art | casabrutus.com | text_Tomoko Sakamoto
ロックダウン以降世界中の美術館が休館を余儀なくされる中で、オンライン・ミュージアムの新しい試みが数多く行われている。その中で今回注目したいのはマドリッドの〈ソフィア王妃芸術センター〉のウェブサイトにて公開中の『Rethinking Guernica ゲルニカ再考』である。
パブロ・ピカソの代表作にして、20世紀絵画の中で最も大きな影響力を持つ作品のひとつと言われる《ゲルニカ》。戦争の悲惨さを描き、反戦の象徴として世界中に知らない人がいないほどに有名なこの作品を一目見るために、普段であればここに年300万人以上もの人が訪れるという。
しかしこの作品が描かれた稀有な経緯や、ピカソの膨大な仕事量、そしてこの作品の移転、評価の変遷の歴史について知る人は驚くほど少ない。この作品はピカソが自由に描いたものではなく、スペイン内戦中の1937年、パリ万博で発表されるべく、共和国政府がピカソに制作を依頼したものであった。ピカソは数ヶ月という与えられた制作期間の大半を何も描けずスランプのうちに過ごしていたが、バスク地方の村ゲルニカが爆撃されたというニュースを知ると、それに触発されるように大量の習作を描き始め、ほどなく作品は完成した。最初の評価は辛辣なものが多く成功とは言えなかったが、ピカソ自身がその作品を、各国で行われた個展をはじめあらゆる機会に搬送して世界中の人々に見せようと尽力したこともあって徐々に評価を高め、スペイン内戦という一戦争を超えた20世紀を象徴する絵画となり、ピカソの死後1981年にスペインへ運ばれ、1992年に新設された〈ソフィア王妃芸術センター〉のコレクションとなったのだ。
しかしこの作品が描かれた稀有な経緯や、ピカソの膨大な仕事量、そしてこの作品の移転、評価の変遷の歴史について知る人は驚くほど少ない。この作品はピカソが自由に描いたものではなく、スペイン内戦中の1937年、パリ万博で発表されるべく、共和国政府がピカソに制作を依頼したものであった。ピカソは数ヶ月という与えられた制作期間の大半を何も描けずスランプのうちに過ごしていたが、バスク地方の村ゲルニカが爆撃されたというニュースを知ると、それに触発されるように大量の習作を描き始め、ほどなく作品は完成した。最初の評価は辛辣なものが多く成功とは言えなかったが、ピカソ自身がその作品を、各国で行われた個展をはじめあらゆる機会に搬送して世界中の人々に見せようと尽力したこともあって徐々に評価を高め、スペイン内戦という一戦争を超えた20世紀を象徴する絵画となり、ピカソの死後1981年にスペインへ運ばれ、1992年に新設された〈ソフィア王妃芸術センター〉のコレクションとなったのだ。
製作中の未発表写真や展覧会を批評した新聞記事を含め、今回ウェブ上に公開されたこのたった一枚の絵画にまつわる資料の数はなんと2000を超える。そして普段館内では4メートル離れた場所に引かれた線の外からしか見ることのできないこの絵を、ギガピクセルという超高解像度画像のデータとして公開したことで筆の跡やキャンバスの素地、絵の具の経年劣化まで舐めるように見ることができるのも、デジタルでしか実現できない新しい鑑賞方法と言えるだろう。
「多くの作品を画像などの情報として見せる」のとは逆に「一点の作品をオンラインという制約の中でどこまで掘り下げることができるか」という視点から公開された名作。実物を鑑賞することが出来ない今だからこそ、ゲルニカを「いつか本当に見たい」と思う気持ちを育てる絶好の機会ではないだろうか。
「多くの作品を画像などの情報として見せる」のとは逆に「一点の作品をオンラインという制約の中でどこまで掘り下げることができるか」という視点から公開された名作。実物を鑑賞することが出来ない今だからこそ、ゲルニカを「いつか本当に見たい」と思う気持ちを育てる絶好の機会ではないだろうか。
『Rethinking Guernica ゲルニカ再考』
〈ソフィア王妃芸術センター〉公式サイトにて公開中。