ARCHITECTURE
今、東北で行くべき美術館は? | 行くぜ、東北。
June 15, 2015 | Architecture, Travel | sponsored | photo_Ken’ichi Suzuki text_Jun Kato editor_Tami Okano
50年近い歴史を持つ秋田県立美術館が、安藤忠雄設計の建物に移転され、再オープン。県民に愛された貴重な作品が次世代に受け継がれる。
秋田県秋田市の中心部に位置する再開発地域。その文化エリアの一翼を担うのが、秋田県立美術館である。近接する旧美術館から移転され、2013年9月に再オープンとなった。1966年に竣工した旧美術館は、フランスで最も有名な日本人画家といわれる藤田嗣治の作品、約100点を中心とする「平野政吉コレクション」を収めていた。その貴重なコレクションを引き継ぎ、次世代へとつなぐ新たな美術館の設計は、建築家・安藤忠雄に任された。
文化エリアの広場の一角に面するエントランスから、コンクリート壁の内部に入る。すると現れるのは、垂直方向に伸びやかに吹き抜ける大きな空間。このエントランスホールは、外の広場を引き込むように考えられたといい、上からはトップライトを通した日光が壁を伝い落ちてくる。ここには大きな螺旋階段が掛かり、来場者はゆっくりと縦長の空間を感じ取りながら、ぐるりと歩を進めていく。
文化エリアの広場の一角に面するエントランスから、コンクリート壁の内部に入る。すると現れるのは、垂直方向に伸びやかに吹き抜ける大きな空間。このエントランスホールは、外の広場を引き込むように考えられたといい、上からはトップライトを通した日光が壁を伝い落ちてくる。ここには大きな螺旋階段が掛かり、来場者はゆっくりと縦長の空間を感じ取りながら、ぐるりと歩を進めていく。
2階のミュージアムラウンジに至ると、今度は水平方向に細長く切り取られた光景にハッとする。立っているとガラスの外の足元に広がる水面と、そこに映る空が印象的だ。ソファに腰掛けると、道路を挟んで広がる千秋公園、そして公園を囲む堀の水と水庭がつながって視線が遠くに抜けていく。
公園の一角で木々からアタマをひょっこりと出しているのが、旧美術館だ。「県民の心の風景として強く焼き付いているであろう、旧美術館のとんがり屋根を意識した」と安藤は説明する。実は、ホールの光天井やラウンジ天井のライン照明に表れる三角形のモチーフ、さらに三角形を基本に構成される動きのある建物全体のプランは、旧美術館の屋根の形状を踏襲したもの。ラウンジに腰を落ち着けて外を眺めていると、景観に溶け込んでいる旧美術館と新美術館が、対話しているように感じられる。横長の窓から見えるこの風景は、旧美術館に通った往年の藤田ファンにも人気だという。
そしていよいよ、この美術館のメインとなる「藤田嗣治大壁画ギャラリー」へ。ギャラリーの入口でいきなり、1937年の作品《秋田の行事》の全容が視界に飛び込んでくる。幅20.5m、高さ3.65m。誰もが感嘆の声を上げる「大壁画」には、秋田の昔ながらの日常の暮らしや祭りを楽しむ人々の生き生きとした姿がある。
そしていよいよ、この美術館のメインとなる「藤田嗣治大壁画ギャラリー」へ。ギャラリーの入口でいきなり、1937年の作品《秋田の行事》の全容が視界に飛び込んでくる。幅20.5m、高さ3.65m。誰もが感嘆の声を上げる「大壁画」には、秋田の昔ながらの日常の暮らしや祭りを楽しむ人々の生き生きとした姿がある。
壁画は湾曲して端のほうが迫り出しているので、遠くからでも歪まずに鑑賞可能。もちろん近くに寄って、筆使いを堪能するのもいい。3階からも、上部からの視点で壁画を鑑賞できる。3階にはほかにも2つの企画展向けギャラリーがあり、大きさの異なる2つの空間は、吹き抜けの間を縫って連続するように配されている。
ところで、なぜこの「大壁画」には秋田の歴史風土が描かれ、秋田にあり続けたのだろうか。それは、藤田と資産家・平野政吉の友情に由来する。1936年、藤田の妻・マドレーヌが日本で急死。親交のあった平野が、彼女の鎮魂のために秋田での美術館建設計画を呼びかけた。それを受けて、藤田は「秋田の全貌」というテーマの壁画制作を表明。巨大であるため、平野の所有していた米蔵がアトリエとして使用された。制作期間は15日。大きさと描くスピードで、世界一とも称される。ただ、壁画は完成するも、戦時体制下のため予定していた美術館は建設中止。約30年後に二人の夢であった美術館は竣工し、大壁画は米蔵の一部を解体して搬出、ようやく日の目を見ることになった。さらに47年後。今度はANDO建築に物語は引き継がれる。
ところで、なぜこの「大壁画」には秋田の歴史風土が描かれ、秋田にあり続けたのだろうか。それは、藤田と資産家・平野政吉の友情に由来する。1936年、藤田の妻・マドレーヌが日本で急死。親交のあった平野が、彼女の鎮魂のために秋田での美術館建設計画を呼びかけた。それを受けて、藤田は「秋田の全貌」というテーマの壁画制作を表明。巨大であるため、平野の所有していた米蔵がアトリエとして使用された。制作期間は15日。大きさと描くスピードで、世界一とも称される。ただ、壁画は完成するも、戦時体制下のため予定していた美術館は建設中止。約30年後に二人の夢であった美術館は竣工し、大壁画は米蔵の一部を解体して搬出、ようやく日の目を見ることになった。さらに47年後。今度はANDO建築に物語は引き継がれる。
「半世紀の間、県民の文化的生活を支えてきた旧美術館の精神をしっかりと受け継ぎつつ、秋田文化の新しい時代の幕開けに大いに貢献するような施設になってほしい」。新美術館に、安藤忠雄はそう願いをかける。
〈秋田県立美術館〉
2013年開館。設計:安藤忠雄。1937年に描かれた《秋田の行事》をはじめ、藤田嗣治作品を中心とする平野政吉コレクションと、現代の芸術表現の場としての県民ギャラリーを持つ。秋田県秋田市中通1-4-2 TEL 018 853 8686。10時〜18時。不定休。公式サイト
アクセス
東京から秋田新幹線で約3時間48分。JR秋田駅より徒歩10分。
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