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【東京・日暮里】猫を愛した彫刻家が設計・監督した谷中の住居兼アトリエへ。|甲斐みのりの建築半日散歩
ARCHITECTURE

【東京・日暮里】猫を愛した彫刻家が設計・監督した谷中の住居兼アトリエへ。|甲斐みのりの建築半日散歩

| Architecture, Culture, Food, Travel | casabrutus.com | photo_Ryumon Kagioka   text_Minori Kai

上野恩賜公園や日暮里駅からも近く、風情ある景色が広がる下町散策で人気が高い谷根千エリア。彫刻家・朝倉文夫自らが住居兼アトリエとして設計を手がけ、没後は美術館として公開されている〈朝倉彫塑館〉を訪れた。その前後には、昭和初期に創業し永山祐子氏がリノベーションを手がけた大正時代築の古民家を使った喫茶店〈カヤバ珈琲〉や、職人の手から生まれた素朴ながらも機能的な生活道具を扱う荒物雑貨店〈谷中 松野屋〉に立ち寄り、情緒ある景色の中をぶらぶらと楽しんだ。

●コンクリート造と数寄屋造、趣が異なる建築が融合する〈朝倉彫塑館〉。

2022年9月7日(水)まで、朝倉の猫の作品に影響を受けたという彫刻家・三宅一樹木の猫をテーマにした作品を常設展示内で紹介する「朝倉文夫と現代彫刻家の猫」を開催。
2022年9月7日(水)まで、朝倉の猫の作品に影響を受けたという彫刻家・三宅一樹木の猫をテーマにした作品を常設展示内で紹介する「朝倉文夫と現代彫刻家の猫」を開催。
上京したばかりの20年ほど前に、東京育ちの友人に「東京で一番好きな美術館」といって案内してもらったのが、日暮里駅から徒歩5分ほどの下町の住宅街にある〈朝倉彫塑館〉。明治生まれの彫刻家・朝倉文夫が自ら設計・監督した住居兼アトリエが、朝倉がこの世を去った3年後の1967(昭和42)年から一般公開されている。

朝倉自ら“アサクリック”と呼んだ自己流の美意識や哲学に基づき、細部にまでこだわりや工夫を凝らした心豊かになれる空間。それから私も、美術、建築、下町、猫好きの友人たちにぜひ足を運んでほしいと強くすすめたり、下町散策がてらともに訪れるようになった。
玄関前の塀には六方石と大谷石を使用。館名にある彫塑とは、彫り刻む技法の彫刻と、粘土などの素材でかたちづくる技法の塑造を合わせた言葉で、朝倉文夫がこだわって使用したという。
玄関前の塀には六方石と大谷石を使用。館名にある彫塑とは、彫り刻む技法の彫刻と、粘土などの素材でかたちづくる技法の塑造を合わせた言葉で、朝倉文夫がこだわって使用したという。
玄関前に立って屋上を見上げると、砲丸を手にした青年の彫刻作品「砲丸」が設置されている。
玄関前に立って屋上を見上げると、砲丸を手にした青年の彫刻作品「砲丸」が設置されている。
玄関前の塀には六方石と大谷石を使用。館名にある彫塑とは、彫り刻む技法の彫刻と、粘土などの素材でかたちづくる技法の塑造を合わせた言葉で、朝倉文夫がこだわって使用したという。
玄関前に立って屋上を見上げると、砲丸を手にした青年の彫刻作品「砲丸」が設置されている。
猫好きな人にこちらをすすめる理由は、朝倉が愛猫家で、ときに10匹以上の猫を飼い、猫をモチーフにした多くの作品を残しているからだ。もともとは東洋蘭のための温室だった「蘭の間」には、今にも動き出しそうな猫の作品が常設展示されている。私自身もこよなく猫を愛しているため、猫好き仲間同志の交流があり、猫をデザインした館オリジナルグッズの一筆箋や封筒をおみやげにしては喜ばれている。
8.5メートルもの天井高を誇るアトリエ床は寄木張り。「墓守」「大隈重信像」など代表作がずらり。地下には電動昇降台の機構がある。コンクリートの壁に淡く茶色に染めた真綿を塗ることで温かい印象にしているという。朝倉の生前は彫刻の専門学校としても機能していた。
8.5メートルもの天井高を誇るアトリエ床は寄木張り。「墓守」「大隈重信像」など代表作がずらり。地下には電動昇降台の機構がある。コンクリートの壁に淡く茶色に染めた真綿を塗ることで温かい印象にしているという。朝倉の生前は彫刻の専門学校としても機能していた。
数寄屋造で藁壁を採用した1階の居住部分。炉が切ってあるため茶室とも呼ばれる朝倉の自室や、寝室が並んでいる。
数寄屋造で藁壁を採用した1階の居住部分。炉が切ってあるため茶室とも呼ばれる朝倉の自室や、寝室が並んでいる。
居住棟から眺める中庭の五典の池。「仁・義・礼・智・信」の五常を造形化した巨石を配し、朝倉は自身の自己反省の場として設計した。
居住棟から眺める中庭の五典の池。「仁・義・礼・智・信」の五常を造形化した巨石を配し、朝倉は自身の自己反省の場として設計した。
8.5メートルもの天井高を誇るアトリエ床は寄木張り。「墓守」「大隈重信像」など代表作がずらり。地下には電動昇降台の機構がある。コンクリートの壁に淡く茶色に染めた真綿を塗ることで温かい印象にしているという。朝倉の生前は彫刻の専門学校としても機能していた。
数寄屋造で藁壁を採用した1階の居住部分。炉が切ってあるため茶室とも呼ばれる朝倉の自室や、寝室が並んでいる。
居住棟から眺める中庭の五典の池。「仁・義・礼・智・信」の五常を造形化した巨石を配し、朝倉は自身の自己反省の場として設計した。
東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業した朝倉は、台東区谷中に小さな住居とアトリエを構えた。その後、敷地の拡張や増改築を経て、1935(昭和10)年に現在の建物が完成している。敷地内の中心には、朝倉の考案にしたがって造園家・西川佐太郎が作庭し、大半を水面が占める中庭が。その庭の四方を、木造とコンクリート造の建物が囲む構造。建造物は国登録有形文化財で、建物を含む敷地全体が国の名勝に指定されている。

数寄屋造を好んだ朝倉は、家族が過ごす居間、自室、寝室が並ぶ私的な住居棟には、日本古来の住宅様式を活かした木造を採用しているが、朝倉が主宰した朝倉彫塑塾の学びの場でもあった公的なアトリエ棟には、本来の趣味ではないというコンクリート造を取り入れた。それというのもアトリエで背の高い大きな彫刻を自在に制作できるよう、電動で上下する昇降台を設置するために構造上必要だったからだ。結果、木造とコンクリート造で公私の空間が分かれ、その対比こそが建物の趣をなしている。
「素心の間」から中庭を見下ろすと、コンクリート造のアトリエ棟と、木造の居住棟の接合部分がよく分かる。アトリエ棟のコンクリートの壁の上部は黒く塗られ、白と黒を対比させているのも朝倉流の美意識。
「素心の間」から中庭を見下ろすと、コンクリート造のアトリエ棟と、木造の居住棟の接合部分がよく分かる。アトリエ棟のコンクリートの壁の上部は黒く塗られ、白と黒を対比させているのも朝倉流の美意識。
居住棟2階にある黒土壁の「素心の間」。趣味を楽しむ部屋として使用されていた。
居住棟2階にある黒土壁の「素心の間」。趣味を楽しむ部屋として使用されていた。
建物の3階に位置し、客人をもてなすために使用されていた「朝陽の間」。東に大きく窓をとり、赤い瑪瑙(めのう)壁や白い貝壁が光が反射してキラキラ輝く。欅の円卓は朝倉の設計。
建物の3階に位置し、客人をもてなすために使用されていた「朝陽の間」。東に大きく窓をとり、赤い瑪瑙(めのう)壁や白い貝壁が光が反射してキラキラ輝く。欅の円卓は朝倉の設計。
「素心の間」から中庭を見下ろすと、コンクリート造のアトリエ棟と、木造の居住棟の接合部分がよく分かる。アトリエ棟のコンクリートの壁の上部は黒く塗られ、白と黒を対比させているのも朝倉流の美意識。
居住棟2階にある黒土壁の「素心の間」。趣味を楽しむ部屋として使用されていた。
建物の3階に位置し、客人をもてなすために使用されていた「朝陽の間」。東に大きく窓をとり、赤い瑪瑙(めのう)壁や白い貝壁が光が反射してキラキラ輝く。欅の円卓は朝倉の設計。
玄関、アトリエ、書斎、中庭、趣味の部屋、客人をもてなすための部屋、温室、屋上と内部を巡りながら、家というよりまちを歩いているような不思議な感覚にとらわれる。光が注ぐ窓も多く設置されていたり、実際に東京のまちを見晴らす屋上もあることで、細やかに視線が移り変わり、先々で多様な景色が広がっているから、限られた敷地の中でもより膨らみを持って感じられるのかもしれない。

朝倉は家を建てる目的が「アトリエであり、住宅であり、別荘であり、彫塑塾であり、友人の倶楽部もよかろう、宿泊所もよかろう」と綴っている。来客が多く活気に満ちた自邸が今は美術館の役割を果たし、多くの人が訪ねて来ることを、天から嬉しそうに見下ろしているだろう。
書斎。関東大震災を経験した朝倉は、地震で棚が倒れ本が痛む様を目の当たりにしたことで、壁と一体化した作り付けの書棚にこだわった。洋書のほとんどは東京美術学校時代の恩師で西洋美術史家・岩村透が集めたもの。
書斎。関東大震災を経験した朝倉は、地震で棚が倒れ本が痛む様を目の当たりにしたことで、壁と一体化した作り付けの書棚にこだわった。洋書のほとんどは東京美術学校時代の恩師で西洋美術史家・岩村透が集めたもの。
2階南のテラスには、壁面に設置された豚の口から放水する仕掛けがなされた水場が。カラフルなタイルやスクラッチタイルも見られる。
2階南のテラスには、壁面に設置された豚の口から放水する仕掛けがなされた水場が。カラフルなタイルやスクラッチタイルも見られる。
オリーブの大木が茂る屋上庭園は、コンクリート建築の屋上緑化の貴重な事例として評価されている。朝倉が主宰した朝倉彫塑塾では園芸が必須科目で、塾生の園芸実習の場として活用されていた。
オリーブの大木が茂る屋上庭園は、コンクリート建築の屋上緑化の貴重な事例として評価されている。朝倉が主宰した朝倉彫塑塾では園芸が必須科目で、塾生の園芸実習の場として活用されていた。
書斎。関東大震災を経験した朝倉は、地震で棚が倒れ本が痛む様を目の当たりにしたことで、壁と一体化した作り付けの書棚にこだわった。洋書のほとんどは東京美術学校時代の恩師で西洋美術史家・岩村透が集めたもの。
2階南のテラスには、壁面に設置された豚の口から放水する仕掛けがなされた水場が。カラフルなタイルやスクラッチタイルも見られる。
オリーブの大木が茂る屋上庭園は、コンクリート建築の屋上緑化の貴重な事例として評価されている。朝倉が主宰した朝倉彫塑塾では園芸が必須科目で、塾生の園芸実習の場として活用されていた。

〈朝倉彫塑館〉

東京都台東区谷中7-18-10 TEL 03 3821 4549。9時30分~16時30分 (入館は16時まで)。月・木曜日休(祝休日と重なる場合は翌平日休)、年末年始休、展示替え時臨時休館。入館料500円。

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甲斐みのりの建築半日散歩illustration Yoshifumi Takeda

甲斐みのり

かい みのり  文筆家。旅、散歩、甘いもの、建築など幅広い題材について執筆。その土地ならではの魅力を再発見するのが得意。

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