奈良美智の30年を、村上隆主宰のギャラリーで観て思うこと、いろいろ。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

奈良美智の30年を、村上隆主宰のギャラリーで観て思うこと、いろいろ。

奈良美智の30年分のドローイングを集めた展覧会が村上隆の主宰するギャラリーで開催され、盛況である。日本の現代美術を牽引する2人が、今回はアーティストとギャラリストという関係で実現したこの展覧会を見ながら、2人のこと、彼らが辿ってきた足跡などをあらためて考えた。

アーティストとして奈良美智と村上隆はまったく似ていない。作品はもちろん、ライフストーリーや、おそらく目指しているところも。しかし、いくつかの偶然が重なることもあり、展覧会企画者やメディア関係者は、まるでひとつの芸術運動を形成するアーティスト群と捉えようとする。共通点はたとえば、日本人であること、年齢が3歳しか変わらないこと(年下の村上は早生まれなので学年で言うと2年違い)、以前、同じギャラリーに属していたこと。同時期にアメリカの大学の客員教授に招かれていたこと。実のところ類似点はそれくらいしかない。
同じ芸術ムーブメントのアーティストと捉えられがちな理由としてはメディアが2人をセットで、ときに盟友のように取り上げたこともある。かく言う筆者も雑誌『ブルータス』の編集者時代、2001年に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」という特集を組んだ。すでに『美術手帖』やサブカル誌では特集も組まれていた、この、当時売出し中のアーティスト2人を1冊の特集にまとめ、紹介した。内情を言えば、それぞれ1人だけで特集は実現できなかったという事情もある。出版社の販売や広告などの営業サイドは冒険を回避させようとする。
雑誌『BRUTUS』2001年9月1日号は、こんな表紙だった。
奈良や村上が出現するまでは日本の現代美術の状況はどうだったかといえば、少し前に「具体美術協会」や「もの派」「ネオダダ」などの活動はあった。その流れは続いていたものの、ほとんどが国内のマーケットを相手にしていた。奈良や村上の頃から、日本の現代アートも輸出に転じていく。奈良のようにアーティストとして世界を見てきた、あるいは村上のように世界にどう進出するか、策を練った彼らアーティストの功績でもあるし、プロデュースしたギャラリスト小山登美夫の力も大きい。日本円が強くなったこと、格安航空券の普及により外国との距離が縮まったこと、海外アートフェアの隆盛などの追い風があった。
2人の作品は、日本が世界をリードする文化であるマンガやアニメーションによるインスパイアがあり、それを戦略やマーケットを意識した形で現代美術に昇華したアートであると括られることもある。しかし、それは村上隆に対してのコメントなら、当たらずといえど遠からずかもしれないが、奈良にはほとんどあてはまらない。奈良は主に女の子を描き、表情や主張を持っているのでマンガ的に捉える向きもあるかもしれないが、本質は全く違う。マンガだとか、イラストレーションなどの類似領域で語ることは見当外れであるのは、いくつもの作品に向き合えば理解できる。もっと手っ取り早くわかりたければ奈良が書いた文章をいくつか読むのもいい。

では、奈良をインスパイアさせているものは何かを簡単に言えば、主には音楽(レコード、CD、ライブなど)、レコードジャケットのアートやデザイン、そして旅である。

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