田中一村の知られざる千葉時代を追う|青野尚子の今週末見るべきアート | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

田中一村の知られざる千葉時代を追う|青野尚子の今週末見るべきアート

奄美の風景を濃厚かつ繊細なタッチで描いた田中一村。奄美に出立する前に彼は、千葉で過ごしていました。奄美以前、さまざまな技法や表現にチャレンジしていた一村の軌跡をゆかりの地〈千葉市美術館〉でたどります。

《椿図屛風》(1931年)。斜めの構図がモダンな作品。一村はこんなデザイン感覚にも優れていた。
田中一村は1908年、彫刻家の父のもと、今の栃木市に生まれた。7歳で児童画展に入選するなど早くから画才を現し、「神童」と呼ばれる。18歳で今の東京藝術大学に入学するが、なぜか6月には退学してしまう。このときの同期には東山魁夷らがいた。30歳のとき、〈千葉市美術館〉からもほど近い千葉寺町に移住、50歳で奄美行きのため家を処分するまで千葉で暮らしている。その後は一時的に千葉に戻ることもあったが、69歳で没するまで奄美で過ごした。
《つゆ草にコオロギ》(1921年/川村コレクション)。出品作の中でもっとも早い12歳のときの作品。にじみや葉脈で立体感を出す。父から与えられた「米邨」の号がある。
千葉で一村は、親戚であり最大の理解者であった川村幾三の支援を受ける。この展覧会は主に川村家やその友人など一村に縁のあった人々から寄贈・寄託された作品で構成されている。〈千葉市美術館〉収蔵品のすべてをこの展覧会で見ることができる、レアな機会だ。
左から《廬橘夏熟図》(1926年/個人蔵、特別出品)、《胡蘆図》(1927年/中村正氏寄贈)、《蓮図 擬八大山人筆意》(昭和初期/川村コレクション、千葉市美術館寄託)。いずれも10代のころの作品。  
手前の葉盆と右奥の木魚の根付は父、田中稲邨作、ほかは一村作。一村は木彫を父から学び、生活の助けとしていた(川村コレクション)。
展覧会は10代の頃の作品から始まる。この頃、彼は中国の文人画(文人が余技として描いた絵。転じてそのような様式の絵も指す)に倣ったものを多く描いていた。その後、写生を軸にしたり、与謝蕪村ふうの絵に漢詩を重ねたり、日本画の顔料を洋画のように全面に厚塗りするなど、伝統に学びながら多様な作風に挑戦している。琳派の影響が見られるものもある。いずれにしても奄美時代の作品とは異なる画風のものが多い。

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