ARCHITECTURE
ル・コルビュジエの絵画を、彼の設計した〈国立西洋美術館〉で観る。
February 1, 2019 | Architecture, Art | casabrutus.com | text_Naoko Aono editor_Keiko Kusano
ル・コルビュジエの建築で彼の絵画や家具を見る。ありそうで実はなかなかなかったチャンスがやってきます。彼が日本に唯一残した建築〈国立西洋美術館〉で、世界遺産登録後初のル・コルビュジエ展が開かれます!
2019年に開館60年を迎える〈国立西洋美術館〉。この美術館は戦前に実業家、松方幸次郎がヨーロッパで集めた「松方コレクション」がフランス政府から寄贈、返還されるのに伴って建設されたもの。印象派に代表される、ルネサンス以降20世紀初頭までの絵画・彫刻を中心としたコレクションだ。設計者にはフランスを代表する建築家としてル・コルビュジエが選ばれた。日本には前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の三人の弟子がいる。彼らが設計や建設をサポートできる、というのもル・コルビュジエに決まった理由の一つだった。
1959年に開館した〈国立西洋美術館〉にはその後、前川らの設計で新館と企画展示館が増設されている。現在は本館には18世紀までのヨーロッパ絵画が、新館に松方コレクションをはじめとする19世紀以降の絵画が並び、企画展は企画展示室で行うという構成になっている。
しかし、もともとのル・コルビュジエの構想は、「自分と同時代のフランス美術を紹介する美術館」というものだった。初期のスケッチには美術館のほか、音楽ホールやアートセンターのための別棟が描き込まれている。
「彼は日本の文部大臣に『〈国立西洋美術館〉をインドのアーメダバード、チャンディガールの美術館とともに近代の精神を普及させる拠点としたい』といった内容の手紙を送っています。実際に開館当初は『松方コレクション』のほか、当時まだ存命だったピカソやシャガール、ミロらの企画展が開催されていました」と国立西洋美術館副館長の村上博哉さんは言う。
松方コレクションも19世紀末から20世紀初頭のものが中心だ。さらに彼は「無限成長美術館」として本館を延長し、20世紀、21世紀のアートを収蔵・展示することを考えていた。
今回の「ル・コルビュジエ 絵画から建築へーピュリスムの時代」展は企画展だが企画展示室ではなく、ル・コルビュジエが設計した本館で行われる。彼の絵や家具、建築の模型だけでなく、彼が影響を受けたピカソやブラックら、キュビスムの絵画も並ぶ。
「ル・コルビュジエの空間で、彼と同時代の画家の絵が見られるというル・コルビュジエが意図した使い方に近い展示が行われます。普段はルネサンスやバロック絵画が飾られている展示室が違う空間に感じられることでしょう」(村上さん)
そもそもル・コルビュジエのキャリアは美術界とのつながりから始まった。1917年、パリに拠点を定めたシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(後のル・コルビュジエ)は画家、アメデ・オザンファンとともにスイス人の銀行家、ラウル・ラ・ロシュのためにオークションでの絵画の購入に協力する。彼はラ・ロシュにそのコレクションと一体となるような住宅をつくることを提案。それがパリの〈ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸〉だ。
面白いのは彼が、「ここには絵画などを飾らないように」といった場所を指定していること。あるときオザンファンが黙って「飾ってはいけない」としたところに勝手に絵を置いてしまう。するとル・コルビュジエは激怒し、「その場所は建築の純粋な空間なのに」という手紙を書く。温厚なラ・ロシュは画家と建築家の板挟みになってしまい、ル・コルビュジエに「私には画家に対する責任があるのに、あなたは“建築の詩”を作ってしまった。一体どちらが悪いのでしょう」という返事を送っている。
1959年に開館した〈国立西洋美術館〉にはその後、前川らの設計で新館と企画展示館が増設されている。現在は本館には18世紀までのヨーロッパ絵画が、新館に松方コレクションをはじめとする19世紀以降の絵画が並び、企画展は企画展示室で行うという構成になっている。
しかし、もともとのル・コルビュジエの構想は、「自分と同時代のフランス美術を紹介する美術館」というものだった。初期のスケッチには美術館のほか、音楽ホールやアートセンターのための別棟が描き込まれている。
「彼は日本の文部大臣に『〈国立西洋美術館〉をインドのアーメダバード、チャンディガールの美術館とともに近代の精神を普及させる拠点としたい』といった内容の手紙を送っています。実際に開館当初は『松方コレクション』のほか、当時まだ存命だったピカソやシャガール、ミロらの企画展が開催されていました」と国立西洋美術館副館長の村上博哉さんは言う。
松方コレクションも19世紀末から20世紀初頭のものが中心だ。さらに彼は「無限成長美術館」として本館を延長し、20世紀、21世紀のアートを収蔵・展示することを考えていた。
今回の「ル・コルビュジエ 絵画から建築へーピュリスムの時代」展は企画展だが企画展示室ではなく、ル・コルビュジエが設計した本館で行われる。彼の絵や家具、建築の模型だけでなく、彼が影響を受けたピカソやブラックら、キュビスムの絵画も並ぶ。
「ル・コルビュジエの空間で、彼と同時代の画家の絵が見られるというル・コルビュジエが意図した使い方に近い展示が行われます。普段はルネサンスやバロック絵画が飾られている展示室が違う空間に感じられることでしょう」(村上さん)
そもそもル・コルビュジエのキャリアは美術界とのつながりから始まった。1917年、パリに拠点を定めたシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(後のル・コルビュジエ)は画家、アメデ・オザンファンとともにスイス人の銀行家、ラウル・ラ・ロシュのためにオークションでの絵画の購入に協力する。彼はラ・ロシュにそのコレクションと一体となるような住宅をつくることを提案。それがパリの〈ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸〉だ。
面白いのは彼が、「ここには絵画などを飾らないように」といった場所を指定していること。あるときオザンファンが黙って「飾ってはいけない」としたところに勝手に絵を置いてしまう。するとル・コルビュジエは激怒し、「その場所は建築の純粋な空間なのに」という手紙を書く。温厚なラ・ロシュは画家と建築家の板挟みになってしまい、ル・コルビュジエに「私には画家に対する責任があるのに、あなたは“建築の詩”を作ってしまった。一体どちらが悪いのでしょう」という返事を送っている。
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