日本建築の巨人、丹下健三の足跡を追う展覧会。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

日本建築の巨人、丹下健三の足跡を追う展覧会。

1964年東京オリンピックや1970年の大阪万博で大きな役割を果たした建築家、丹下健三。日本の風景を作ってきたといってもいい彼の前半生にスポットをあてた展覧会が開かれます。これまであまり紹介されてこなかった資料も見られる、貴重な展覧会です。

〈国立代々木競技場〉。うねる大屋根は二重の吊り屋根という構造の冒険の結果だ。国立代々木競技場|1964年頃|撮影:石元泰博|高知県立美術館©高知県、石元泰博フォトセンター
〈広島子供の家〉(模型)。上が広がったコンクリートの円筒が、周囲に枝を伸ばす大木のように子どもたちを守る。1953年竣工、現存せず。制作:金沢工業大学環境・建築学部 西村督研究室、竹内申一研究室|撮影:竹内申一|香川県立ミュージアム蔵
〈芸術の館〉(外観透視図)。1938年に提出された丹下の卒業設計。日比谷公園の芸術複合施設という計画だった。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻所蔵。
〈広島計画1946-1953〉に〈香川県庁舎〉、〈国立代々木競技場〉、〈日本万国博覧会お祭り広場〉。丹下健三の歩みはそのまま戦後日本の都市と建築の歩みでもある。時代をつくり、時代とともに歩んだ彼の存在感は没して16年になる今も薄れていない。
〈広島計画1946-1953〉。広島平和記念公園コンペに1等当選した翌年の1950年にまとめられたもの。『Peace City Hiroshima』所収。
〈広島平和記念カトリック聖堂設計競技案〉(透視図)。1948年に行われたコンペで2等となったが実現せず、結果的に村野藤吾設計の聖堂が建てられた。『平和記念 廣島カトリック聖堂建築競 技設計図集』1949年所収。
彼が建築を目指したのは高校生のころ。学校の図書室でル・コルビュジエの〈ソビエト・パレス〉案を見たのがきっかけだった。戦後間もない1946年、東大建築学科の助教授となり、「丹下研究室」を構える。丹下は戦後復興院の依頼で多くの都市復興計画を手がけたが、中でも原爆で大きな被害を受けた広島の復興計画〈広島計画〉は大きな転機となった。ここで彼は〈慰霊碑〉や〈広島平和開館原爆記念陳列館〉を設計、猪熊弦一郎の紹介で知り合ったイサム・ノグチともコラボレーションしている。〈広島平和開館原爆記念陳列館〉の太い柱で持ち上げ足られたピロティにはル・コルビュジエの影響が見られる。
〈成城の自邸〉増改築案。1階がピロティ、2階に和室の居室がある自邸の、実現しなかった幻のプラン。1964年頃、個人蔵。
戦後、アメリカ文化が流入する中で日本人は自らの歴史やアイデンティティについて考えざるを得なくなった。そんな中、戦前に訪れたブルーノ・タウトが感動の涙を流し、アメリカのニュー・バウハウスで写真を学んだ石元泰博が撮影した〈桂離宮〉に注目が集まる。人々は日本の古建築である〈桂離宮〉にモダニズム建築の要素を見出したのだ。〈成城の自邸〉は丹下自身も撮影した〈桂離宮〉に重なるものがある。丹下は石元が撮影した〈桂離宮〉の写真集もプロデュースしている。
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