FOOD
リアル『将太の寿司』が麻布十番に?|寺尾妙子のNEWSなレストラン
January 24, 2020 | Food | casabrutus.com | photo_Kayoko Aoki text_Taeko Terao editor_Rie Nishikawa
大ヒット漫画『将太の寿司』に憧れて、韓国からやってきた店主が握る麻布十番〈すし家 祥太〉。漫画さながらのサクセスストーリーと、味が評判を呼んでいる。
令和元年11月、麻布十番に〈すし家 祥太〉が誕生した。店主、祥太の本名はムン・ギョンハン。漫画『将太の寿司』に憧れて、寿司職人になった韓国人だ。店のオープン日には『将太の寿司』の作者、寺沢大介も第1号の客としてお祝いに駆けつけた、公認の店である。ここまでには紆余曲折あり、彼が祥太になったのは偶然でもあるが必然でもあった。
中学3年で『将太の寿司』の主人公の熱い生き様や寿司勝負に鳥肌が立つほど感動した。
「お寿司どころか、日本食すら食べたこともなかったのに、寿司職人になろう! と思いました」(祥太)。
中学3年で『将太の寿司』の主人公の熱い生き様や寿司勝負に鳥肌が立つほど感動した。
「お寿司どころか、日本食すら食べたこともなかったのに、寿司職人になろう! と思いました」(祥太)。
高校卒業後は迷わず地元の調理師専門学校へ。韓国では男性に義務づけられている兵役も2年務めた。所属したのは北朝鮮に近い、最も厳しいと言われる陸軍の部隊だ。
「冬の特に寒い日に外で火も使わず、自分で掘った雪穴で寝るという4日間の訓練は辛かったです。とにかく歩くのですが、あの2年間で一生分は歩きました」
兵役後はソウル・江南で評判だった高級寿司店〈Sushi Hyo〉へ。店主が『将太の寿司』世界大会編に出てくる韓国代表のモデルだという噂を聞いたことが理由だった。ここで魚の扱いや包丁の基本テクニックを学んだ。
やはり寿司の本場、日本で修業したいと24歳で大阪に。しかし……
「冬の特に寒い日に外で火も使わず、自分で掘った雪穴で寝るという4日間の訓練は辛かったです。とにかく歩くのですが、あの2年間で一生分は歩きました」
兵役後はソウル・江南で評判だった高級寿司店〈Sushi Hyo〉へ。店主が『将太の寿司』世界大会編に出てくる韓国代表のモデルだという噂を聞いたことが理由だった。ここで魚の扱いや包丁の基本テクニックを学んだ。
やはり寿司の本場、日本で修業したいと24歳で大阪に。しかし……
「まずは日本語を勉強するつもりが、毎日、韓国人の仲間と飲みに行って遊んでばかり。これではダメだと思って、知り合いのいない東京に出ました。日本語ができないから寿司店では雇ってもらえない。仕方なく新宿の居酒屋でバイトをしましたが本当にお金がなくて。とうとう次の家賃が払えないことが分かったんです」
追い込まれて、もう明日、韓国に帰るという日のランチ。財布に残った3万円で、初めて銀座で寿司を食べることにした。店はネットで検索した〈鮨かねさか〉傘下の1軒だった。
「お寿司を握りながら、大将が僕の話を聞いてくれました。気持ちが伝わったんでしょうね。そのまま〈鮨かねさか〉店主の金坂真次さんのところに連れて行ってくれて、面接になったんです」
追い込まれて、もう明日、韓国に帰るという日のランチ。財布に残った3万円で、初めて銀座で寿司を食べることにした。店はネットで検索した〈鮨かねさか〉傘下の1軒だった。
「お寿司を握りながら、大将が僕の話を聞いてくれました。気持ちが伝わったんでしょうね。そのまま〈鮨かねさか〉店主の金坂真次さんのところに連れて行ってくれて、面接になったんです」
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illustration Yoshifumi Takeda
寺尾妙子
てらお たえこ 食ライターとして雑誌やWEBで執筆。好きな食材はごはん、じゃがいも、トリュフ。現在、趣味の茶の湯に邁進中。
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