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〈エルメス表参道店〉オープンとともに、竹宮惠子の名作『エルメスの道』新版が登場!|石田潤のIn The Mode
March 10, 2021 | Design, Culture, Fashion | casabrutus.com | text_Jun Ishida editor_Keiko Kusano
エルメスの社史を漫画化した竹宮惠子の『エルメスの道』。1997年に発表されたこの作品が、新たに3つのエピソードが加わり新版『エルメスの道』として復活する。初めてデジタルツールを用い、24年ぶりの描き下ろしに挑んだという竹宮惠子に、社史を描く面白さ、そして難しさについて聞いた。
2021年2月28日、〈エルメス表参道店〉がついにオープンした。これを記念し、表参道の街中や駅、そしてオープン直前まで設置されていた店の壁面には、エルメスのアイテムや馬に乗る人物を描いたグラフィックが現れた。これは漫画家の竹宮惠子とグラフィックデザイナーYoshirottenのコラボレーションによるものだ。
竹宮惠子は1997年にエルメスの当時の社長、ジャン=ルイ・デュマの依頼により、社史を漫画にした『エルメスの道』を描き下ろしている。それから月日の流れること24年。〈銀座メゾンエルメス〉に始まるエルメスの新たな歴史を漫画化した新版『エルメスの道』(中央公論新社)が出版される。
この新版は、竹宮惠子にとっても24年ぶりの新作となる。竹宮は、前作の『エルメスの道』がきっかけとなり、2000年に京都精華大学マンガ学科の教授に就任した。その後、同校の学長も務めるが、2020年3月に定年退職。そして大学での最終講義を行った日に、この新章執筆の正式な依頼を受けたという。
―前作『エルメスの道』の続きを描く話を受けて、どのように思われましたか?
今は亡きジャン=ルイ・デュマさんと最後にお会いした際に、「あの社史にはまだ続きがある。また描いて欲しい」と耳打ちされました。新章は〈銀座メゾンエルメス〉から始まりますが、振り返れば前作を描いていた時から、銀座の話は始まっていたのだなと思いました。
前作はエルメスを創業したティエリ・エルメスの誕生(1801年)からパンタンのアトリエができた1992年までの話になりましたが、今回は〈銀座メゾンエルメス〉の計画が持ち上がった1995年から現在にいたる、より近い時代の話になります。現代を描くのはなかなか難しいと思いましたが、別の人が描くわけにもいかないでしょうし、私が描くしかないとお引き受けしました。
―およそ180年にわたるエルメスの社史を描く面白さと難しさは?
『吾妻鏡 マンガ日本の古典』(1994-1996年、中央公論新社)を描いた際に、史実や資料を集めて、本当にあったことのように描く楽しさを覚えました。それと同じ楽しさがあると思い、最初の『エルメスの道』はお引き受けしたのです。資料をベースにするといっても、昔のものに関しては現代のように多くはないので、想像できる部分が多いんですね。そういう意味で創作性も生まれるのですが、現代は流通している写真も多いですし、登場人物も生きているわけですから、まず事実を間違ってはいけません。一番気になったのは登場人物の背の高さでした。背の高さがわからないと、人物の大きさが画面の中で調整できません。何センチぐらいか調べてもらったり、集合写真を参考にしました。
―そうした検証の積み重ねがノン・フィクション性を高めるのでしょうか?
私にとっては自信を持って描けることが大事なんです。
―事実をベースとした物語の中に、創作性はどのように忍ばせるのですか?
台詞は私が作るのですが、会話の仕方には感情的なやりとりがあります。立場で語尾も違いますし、そうしたところで演技をさせてゆく。それが創作だと思います。エルメス一族の家族関係が気になって、家系図を知りたいとお願いもしました。どのくらい親戚として近いのか、そういうのが大事なんですね。
―全ての話がとてもドラマチックに感じられたのですが、元となるプロット自体がそうだったのでしょうか?
エルメスが作成したプロットを読んで、こんな大変なことがあったんだと思えるかどうかが想像力なんです。〈銀座メゾンエルメス〉のガラスブロックを作るのに、どれほど苦労したのか。プロットでは数行の記述でしたが、建物を形作るガラスブロックの一つひとつが45cm角の大きさなのだと想像すると、制作することの困難さに思いが及びます。それが私の描いた漫画の中に出ているのではないでしょうか。
―前作『エルメスの道』の続きを描く話を受けて、どのように思われましたか?
今は亡きジャン=ルイ・デュマさんと最後にお会いした際に、「あの社史にはまだ続きがある。また描いて欲しい」と耳打ちされました。新章は〈銀座メゾンエルメス〉から始まりますが、振り返れば前作を描いていた時から、銀座の話は始まっていたのだなと思いました。
前作はエルメスを創業したティエリ・エルメスの誕生(1801年)からパンタンのアトリエができた1992年までの話になりましたが、今回は〈銀座メゾンエルメス〉の計画が持ち上がった1995年から現在にいたる、より近い時代の話になります。現代を描くのはなかなか難しいと思いましたが、別の人が描くわけにもいかないでしょうし、私が描くしかないとお引き受けしました。
―およそ180年にわたるエルメスの社史を描く面白さと難しさは?
『吾妻鏡 マンガ日本の古典』(1994-1996年、中央公論新社)を描いた際に、史実や資料を集めて、本当にあったことのように描く楽しさを覚えました。それと同じ楽しさがあると思い、最初の『エルメスの道』はお引き受けしたのです。資料をベースにするといっても、昔のものに関しては現代のように多くはないので、想像できる部分が多いんですね。そういう意味で創作性も生まれるのですが、現代は流通している写真も多いですし、登場人物も生きているわけですから、まず事実を間違ってはいけません。一番気になったのは登場人物の背の高さでした。背の高さがわからないと、人物の大きさが画面の中で調整できません。何センチぐらいか調べてもらったり、集合写真を参考にしました。
―そうした検証の積み重ねがノン・フィクション性を高めるのでしょうか?
私にとっては自信を持って描けることが大事なんです。
―事実をベースとした物語の中に、創作性はどのように忍ばせるのですか?
台詞は私が作るのですが、会話の仕方には感情的なやりとりがあります。立場で語尾も違いますし、そうしたところで演技をさせてゆく。それが創作だと思います。エルメス一族の家族関係が気になって、家系図を知りたいとお願いもしました。どのくらい親戚として近いのか、そういうのが大事なんですね。
―全ての話がとてもドラマチックに感じられたのですが、元となるプロット自体がそうだったのでしょうか?
エルメスが作成したプロットを読んで、こんな大変なことがあったんだと思えるかどうかが想像力なんです。〈銀座メゾンエルメス〉のガラスブロックを作るのに、どれほど苦労したのか。プロットでは数行の記述でしたが、建物を形作るガラスブロックの一つひとつが45cm角の大きさなのだと想像すると、制作することの困難さに思いが及びます。それが私の描いた漫画の中に出ているのではないでしょうか。
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illustration Yoshifumi Takeda
石田潤
いしだ じゅん 『流行通信』、『ヴォーグ・ジャパン』を経てフリーランスに。ファッションを中心にアート、建築の記事を編集、執筆。編集した書籍に『sacai A to Z』(rizzoli社)、レム・コールハースの娘でアーティストのチャーリー・コールハースによる写真集『メタボリズム・トリップ』(平凡社)など。