DESIGN
陶芸家・内田鋼一がつくった、萬古焼のミュージアム。
February 24, 2016 | Design, Art | a wall newspaper | photo_Chiharu Ito (object), Koizumi Studio (museum) text & editor_Mari Matsubara
食器から大型モニュメントまで、幅広い作風で知られる陶芸家、内田鋼一の次なるチャレンジはなんと私設美術館だった! ここまで踏み切った思いとは?
陶芸のみならず、ホテルや公共施設のモニュメント制作、店舗内装まで活動が広がる内田鋼一が、なんと私設美術館をつくったという。開館したばかりの美術館を訪ねて四日市まで飛んだ。
Q ここは萬古焼を紹介する美術館だそうですが、まず萬古焼とはどういったやきものですか?
江戸中期に桑名で豪商・沼波弄山が起こしたやきもので、萬古という名前は沼波家の屋号からきています。当初は煎茶趣味の風雅なスタイルでしたが、その後時代を経て四日市にも窯が開かれ、実にさまざまなタイプのやきものが作られるようになりました。
Q どうして萬古焼の美術館をつくろうと?
僕は四日市を拠点としていて、地元の骨董市などで手に入れたものがたまたま萬古焼だったということがあり、気にはなっていたのです。四日市で発展したやきものなのに、美濃や常滑、瀬戸など周囲のビッグネーム窯場に押され気味で、意外と知られていない。いろいろ文献にあたると、萬古焼が特殊な発展を遂げたやきものだと知り、その奥深さをぜひ知ってもらいたいと思ったのです。
江戸中期に桑名で豪商・沼波弄山が起こしたやきもので、萬古という名前は沼波家の屋号からきています。当初は煎茶趣味の風雅なスタイルでしたが、その後時代を経て四日市にも窯が開かれ、実にさまざまなタイプのやきものが作られるようになりました。
Q どうして萬古焼の美術館をつくろうと?
僕は四日市を拠点としていて、地元の骨董市などで手に入れたものがたまたま萬古焼だったということがあり、気にはなっていたのです。四日市で発展したやきものなのに、美濃や常滑、瀬戸など周囲のビッグネーム窯場に押され気味で、意外と知られていない。いろいろ文献にあたると、萬古焼が特殊な発展を遂げたやきものだと知り、その奥深さをぜひ知ってもらいたいと思ったのです。
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