DESIGN
アーティスト・藤元明と建築家・永山祐子が “東京” に問いを投げかける!
| Design, Architecture, Art | casabrutus.com | photo_Kenya Abe text_Housekeeper
開催中の「DESIGNART TOKYO 2018」。そのフィーチャー作品をアーティストの藤元明と建築家の永山祐子が担当している。南青山の〈エイベックスビル〉に現れた、巨大な「2021」の文字。そこに込められた問いかけの意図を二人に聞きました。
表参道や外苑前、渋谷、中目黒、六本木など東京全体を一つの会場に約120もの作品を展開しているデザインとアートの祭典「DESIGNART TOKYO 2018」。そのフィーチャー作品として藤元明と永山祐子が製作した《2021#Tokyo Scope》は、そもそも2016年から藤元が進めている、アートプロジェクト「2021」に連なるものだ。
アーティスト・藤元明(以下、藤元) これまで数々のオリンピックで、開催に向けて国全体が集中していって、その後急激にしぼんでいく、という社会現象を私たちはみてきました。2020年、2度目の東京五輪で「同じことを繰り返しちゃダメだよね」「自分たちのこととして向き合ったほうがいいんじゃない?」という問題提起から生まれたのが「2021」プロジェクトです。「2020」に関していろんな問題が顕在化している一方で、「しょうがないんじゃない、オリンピックだし」みたいな空気感ってあるじゃないですか。それに対して、数字の持つシンボル性の強さを逆手にとってしまおうという意図です。
これまでのプロジェクトでは、「2021」の形をした木製のモニュメントが、様々な場所に設置されてきた。新国立競技場建設予定地である千駄ヶ谷。渡航客が空から見ることを想定した、羽田近く、京浜島のスタジオの屋上。福島県いわき市の岩間海岸防波堤建設現場。設置される土地の持つ意味と「2021」という数字が持つ意味との衝突によって、見るものに対して問いかけがなされる。しかし今回は、私生活では妻でもある建築家の永山祐子と手を組んだことで、プロジェクトに新たな広がりが生まれた。
建築家・永山祐子(以下、永山) 今回、私が参加するにあたって、「2021」という“時間軸”が基点となっているプロジェクトに、“都市”的な観点を加えられないか、と思いました。ただモニュメントが置かれる南青山が持つ意味合いだけではなくて、もっと東京全体に伸びていく、都市を貫く軸線を意識させることができるのではないかと。オリンピックに向けて東京という街がどんどん変わりつつある中で、都市全体をどうしていくべきなのかということは、誰しもが考えなくてはいけないよね、と共有していくための投げかけです。
アーティスト・藤元明(以下、藤元) これまで数々のオリンピックで、開催に向けて国全体が集中していって、その後急激にしぼんでいく、という社会現象を私たちはみてきました。2020年、2度目の東京五輪で「同じことを繰り返しちゃダメだよね」「自分たちのこととして向き合ったほうがいいんじゃない?」という問題提起から生まれたのが「2021」プロジェクトです。「2020」に関していろんな問題が顕在化している一方で、「しょうがないんじゃない、オリンピックだし」みたいな空気感ってあるじゃないですか。それに対して、数字の持つシンボル性の強さを逆手にとってしまおうという意図です。
これまでのプロジェクトでは、「2021」の形をした木製のモニュメントが、様々な場所に設置されてきた。新国立競技場建設予定地である千駄ヶ谷。渡航客が空から見ることを想定した、羽田近く、京浜島のスタジオの屋上。福島県いわき市の岩間海岸防波堤建設現場。設置される土地の持つ意味と「2021」という数字が持つ意味との衝突によって、見るものに対して問いかけがなされる。しかし今回は、私生活では妻でもある建築家の永山祐子と手を組んだことで、プロジェクトに新たな広がりが生まれた。
建築家・永山祐子(以下、永山) 今回、私が参加するにあたって、「2021」という“時間軸”が基点となっているプロジェクトに、“都市”的な観点を加えられないか、と思いました。ただモニュメントが置かれる南青山が持つ意味合いだけではなくて、もっと東京全体に伸びていく、都市を貫く軸線を意識させることができるのではないかと。オリンピックに向けて東京という街がどんどん変わりつつある中で、都市全体をどうしていくべきなのかということは、誰しもが考えなくてはいけないよね、と共有していくための投げかけです。
1964年東京五輪の際、その“狂騒劇”的な側面に異を唱えたアーティストの一人に、岡本太郎がいる。岡本もまた、1964年を前に前に、雑誌「総合」で1957年、建築家の丹下健三・磯崎新と協働して、「いこい島」構想という都市論を展開した。丹下自身も、同時期に「東京計画1960」を発表している。
永山 丹下健三が「東京計画1960」で構想した、皇居から木更津を結ぶ軸線のことは、やっぱり最初に思い浮かびました。時代ごとに都市が変わりゆく中で、誰かが何らかの軸線を引いている。都市に対して意識を向かわせるための、一つのアクションですよね。今回、青山通りの路上から〈エイベックスビル〉内を通って、その向こう側まで、地面に赤いラインを引いています。この軸線は、北西側では明治神宮外苑地区や新国立競技場のある、1964年東京五輪のレガシーが残るゾーンに、南東側では、シンボリックな〈六本木ヒルズ〉、さらにその先にこれから大きく変化していく豊洲のベイゾーンに向かっている。青山という土地、この〈エイベックスビル〉が潜在的に持っている、都市の軸線を顕在化させたわけです。また、この赤いラインに沿う形で、バルーンの後部を、円錐状にしています。東京の持つ一つの都市軸の焦点となる位置を、あのバルーンが担っているんです。エントランスの大きなアトリウムを占拠する巨大なバルーン。そのバルーンに映り込む周囲の景色を見て、観客が何を思うのか。そうした投げかけをすることが、あのバルーンの形状の狙いです。
永山 丹下健三が「東京計画1960」で構想した、皇居から木更津を結ぶ軸線のことは、やっぱり最初に思い浮かびました。時代ごとに都市が変わりゆく中で、誰かが何らかの軸線を引いている。都市に対して意識を向かわせるための、一つのアクションですよね。今回、青山通りの路上から〈エイベックスビル〉内を通って、その向こう側まで、地面に赤いラインを引いています。この軸線は、北西側では明治神宮外苑地区や新国立競技場のある、1964年東京五輪のレガシーが残るゾーンに、南東側では、シンボリックな〈六本木ヒルズ〉、さらにその先にこれから大きく変化していく豊洲のベイゾーンに向かっている。青山という土地、この〈エイベックスビル〉が潜在的に持っている、都市の軸線を顕在化させたわけです。また、この赤いラインに沿う形で、バルーンの後部を、円錐状にしています。東京の持つ一つの都市軸の焦点となる位置を、あのバルーンが担っているんです。エントランスの大きなアトリウムを占拠する巨大なバルーン。そのバルーンに映り込む周囲の景色を見て、観客が何を思うのか。そうした投げかけをすることが、あのバルーンの形状の狙いです。
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