CULTURE
岡本太郎の名言「眼は存在が宇宙と合体する穴だ。その穴から…」【本と名言365】
July 23, 2024 | Culture, Art | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Keiko Kamijo illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。「芸術は爆発だ!」エネルギッシュな作品と発言でいつの時代も人々に影響を与え続ける芸術家・岡本太郎。彼が世界各地の美術と建築を訪ねて、その本質を語った。
大阪万博で世界中の人々の度肝を抜いた「太陽の塔」、渋谷駅で行き交う人を見つめる「明日への神話」等、生きるエネルギーが沸々と湧いて出てくるような絵画や彫刻を多く生み出した芸術家の岡本太郎。作品もさることながら、本人もエネルギーに満ち溢れ「芸術は爆発だ!」という言葉を体言している作家である。
漫画家であり画家の岡本一平と歌人・小説家であり仏教研究者でもあったかの子の間に生まれる。芸術一家に育った太郎は自立心が旺盛で自我が強く、豊かな感受性の持ち主だった。しかし周囲には馴染めず、4回も小学校を転校している。その後太郎18歳の時に、父の仕事の関係で渡欧し、パリに一人で残り、その後10年にわたって芸術家と交流し、創作活動に打ち込むことになる。
1933年に「アプストラクシオン・クレアシオン協会」という抽象芸術のグループに入り活動をするが決別、その後マックス・エルンスト、ジャコメッティらシュルレアリストとの親交を深めるが、太郎の作風に大きな影響を与えたのは「ミュゼ・ド・ロム(Musée de l'Homme人類博物館)」である。パリ大学で哲学を学んでいた太郎は、その後民族学科へと転科し、文化人類学者のマルセル・モースに学ぶ。「芸術はうまくあってはならない、きれいであってはならない、心地よくあってはならない」(『今日の芸術』1954年)という芸術における三原則はあまりにも有名だが、このパリでの体験、そして芸術と民族学が彼の創作の根本となるのである。
そして70年代。太郎は世界を巡り、人間の創作の根源にあるものを探るべく各地を訪ねた。
インドではアジャンタやカジュラホよりもエローラの石窟ヒンズー寺院を「生命即宇宙という巨大な結晶を見る思いがした」と称賛。様々な遺跡にも触れてはいたが、「ぎりぎりの極限に生きる、すっ裸の生活」をする人間の匂いの生々しさに衝撃を受けた。
スペインではガウディのサグラダ・ファミリアに感動し「聖と俗がからみあって昇華して行く。それはガウディの運命的存在の中にある矛盾であり、彼の強靭な幻想を支える一つの重要なモニュメントではないか」と彼の俗っぽさを指摘し、それがまさに彼の真骨頂なのだという。そして永遠に成長しつづける生命体の魅力に溢れた「未完」に納得する。
中南米では、アステカの神像「コアトリクエ(蛇の裳裾の女神)」がもっとも好きなものの一つだと言い「なんという奇怪さだ。しかし不思議に透明なのだ。激しさと優しさ。本当の人間存在にぶつかったという思いがした。およそ人間的なイメージを超えていながら——」という言葉を残す。
そして、世界各地への旅の結びに語ったのがこちら。
眼は存在が宇宙と合体する穴だ。その穴から宇宙を存在のなかにとけ込ます。
眼はすなわち「神秘に通ずる回路」であり、「芸術」の根源的なものだ。いわゆる西欧で語られてきた美術史の中にはないもので、「生命感」と「美」が響き合う、「強烈に人間の根源にひそむ共感」があるものだと太郎は述べる。単なる装飾ではなく、呪術的であり、神聖なエネルギーに満ちたものだ。太郎が旅に出てから50年以上の時が経っている。芸術も価値観もさらに多様化してはいるが、芸術の本質を突く鋭い言葉は、今も色褪せない。
漫画家であり画家の岡本一平と歌人・小説家であり仏教研究者でもあったかの子の間に生まれる。芸術一家に育った太郎は自立心が旺盛で自我が強く、豊かな感受性の持ち主だった。しかし周囲には馴染めず、4回も小学校を転校している。その後太郎18歳の時に、父の仕事の関係で渡欧し、パリに一人で残り、その後10年にわたって芸術家と交流し、創作活動に打ち込むことになる。
1933年に「アプストラクシオン・クレアシオン協会」という抽象芸術のグループに入り活動をするが決別、その後マックス・エルンスト、ジャコメッティらシュルレアリストとの親交を深めるが、太郎の作風に大きな影響を与えたのは「ミュゼ・ド・ロム(Musée de l'Homme人類博物館)」である。パリ大学で哲学を学んでいた太郎は、その後民族学科へと転科し、文化人類学者のマルセル・モースに学ぶ。「芸術はうまくあってはならない、きれいであってはならない、心地よくあってはならない」(『今日の芸術』1954年)という芸術における三原則はあまりにも有名だが、このパリでの体験、そして芸術と民族学が彼の創作の根本となるのである。
そして70年代。太郎は世界を巡り、人間の創作の根源にあるものを探るべく各地を訪ねた。
インドではアジャンタやカジュラホよりもエローラの石窟ヒンズー寺院を「生命即宇宙という巨大な結晶を見る思いがした」と称賛。様々な遺跡にも触れてはいたが、「ぎりぎりの極限に生きる、すっ裸の生活」をする人間の匂いの生々しさに衝撃を受けた。
スペインではガウディのサグラダ・ファミリアに感動し「聖と俗がからみあって昇華して行く。それはガウディの運命的存在の中にある矛盾であり、彼の強靭な幻想を支える一つの重要なモニュメントではないか」と彼の俗っぽさを指摘し、それがまさに彼の真骨頂なのだという。そして永遠に成長しつづける生命体の魅力に溢れた「未完」に納得する。
中南米では、アステカの神像「コアトリクエ(蛇の裳裾の女神)」がもっとも好きなものの一つだと言い「なんという奇怪さだ。しかし不思議に透明なのだ。激しさと優しさ。本当の人間存在にぶつかったという思いがした。およそ人間的なイメージを超えていながら——」という言葉を残す。
そして、世界各地への旅の結びに語ったのがこちら。
眼は存在が宇宙と合体する穴だ。その穴から宇宙を存在のなかにとけ込ます。
眼はすなわち「神秘に通ずる回路」であり、「芸術」の根源的なものだ。いわゆる西欧で語られてきた美術史の中にはないもので、「生命感」と「美」が響き合う、「強烈に人間の根源にひそむ共感」があるものだと太郎は述べる。単なる装飾ではなく、呪術的であり、神聖なエネルギーに満ちたものだ。太郎が旅に出てから50年以上の時が経っている。芸術も価値観もさらに多様化してはいるが、芸術の本質を突く鋭い言葉は、今も色褪せない。
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