CULTURE
ルイス・カーンの名言「建築作品は、建築のスピリットと…」【本と名言365】
June 27, 2024 | Culture, Architecture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Ryota Mukai illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。アメリカの住宅局で都市計画プロジェクトを手掛け、イェール大学などの教壇に立つなど、公共的な活動にも尽力した建築家ルイス・カーン。その建築論は、芸術全体を見据えていました。
建築作品は、建築のスピリットとその詩的元初への捧げものにすぎません。
建築家の磯崎新は、ルイス・カーンが亡くなった直後、つまり1970年代中頃にアメリカを訪れている。そしてそのときに、この地でカーンが「急速に忘却されつつあった」ことを印象深く覚えているという。建築界のスーパースターが5年おきに変わるほどの消費の時代に、カーンが語る言葉は「秘教的で難解だと思われ」、「それ故に忌避され」てもいた結果だろうとも綴っている。
実際、カーンの文章を読むのは骨が折れる。それは非常にラディカルだからだろう。建築を語っても、同時代のスーパースターは登場しない。参照されるのは、ピラミッドにストーン・ヘンジ、アゴラ(古代ギリシアの公共広場)、パルテノン神殿などなど。先例のない建物、つまり「元初」はもっとも驚異に満ちたもので、建築家は「はるか昔に生起したものをただただ展開させているにすぎない」とも語る。
話はさらにラディカルに進み、その「元初」を求め「詩」に至る。頭のなかの考えを初めに表現できるのは「詩」だという。こうしてとことん推し進めた思考は、次のようにシンプルな言葉に結晶した。「建築作品は、建築のスピリットとその詩的元初への捧げものにすぎません。」。一見、建築をネガティブに語る言葉にも思えるが、実際にはかなり積極的な意味を含んでいる。つまり、作品は捧げものに過ぎず、人間は常に作品より偉大であるとも語っているのだ。
こうしたシャープな目線はどう養われているのか? カーンは日頃、「わたしの先生」と語るほどリスペクトしていた建築家を思い浮かべ、自分自身にこう問いかけてきたという。「私の仕事ぶりはいかがでしょうか、コルビュジエさん」。
建築家の磯崎新は、ルイス・カーンが亡くなった直後、つまり1970年代中頃にアメリカを訪れている。そしてそのときに、この地でカーンが「急速に忘却されつつあった」ことを印象深く覚えているという。建築界のスーパースターが5年おきに変わるほどの消費の時代に、カーンが語る言葉は「秘教的で難解だと思われ」、「それ故に忌避され」てもいた結果だろうとも綴っている。
実際、カーンの文章を読むのは骨が折れる。それは非常にラディカルだからだろう。建築を語っても、同時代のスーパースターは登場しない。参照されるのは、ピラミッドにストーン・ヘンジ、アゴラ(古代ギリシアの公共広場)、パルテノン神殿などなど。先例のない建物、つまり「元初」はもっとも驚異に満ちたもので、建築家は「はるか昔に生起したものをただただ展開させているにすぎない」とも語る。
話はさらにラディカルに進み、その「元初」を求め「詩」に至る。頭のなかの考えを初めに表現できるのは「詩」だという。こうしてとことん推し進めた思考は、次のようにシンプルな言葉に結晶した。「建築作品は、建築のスピリットとその詩的元初への捧げものにすぎません。」。一見、建築をネガティブに語る言葉にも思えるが、実際にはかなり積極的な意味を含んでいる。つまり、作品は捧げものに過ぎず、人間は常に作品より偉大であるとも語っているのだ。
こうしたシャープな目線はどう養われているのか? カーンは日頃、「わたしの先生」と語るほどリスペクトしていた建築家を思い浮かべ、自分自身にこう問いかけてきたという。「私の仕事ぶりはいかがでしょうか、コルビュジエさん」。
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