CULTURE
隈研吾の名言「 …が、逆にかっこいいのである。」【本と名言365】
April 11, 2024 | Culture, Architecture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。世界的に活躍する建築家、隈研吾。しかし1990年代にその活動は苦境に立たされていた。この時期に記した論評から生まれた「負ける建築」という独自の視点はどのようなものか。書籍をもとに隈の考えをたどっていこう。
負けることのかっこの悪さが、逆にかっこいいのである。
国内外で、公共建築、美術館、博物館、集合住宅、ショップのインテリアなどを手がけ、家具やシューズなどのデザインまで実に幅広い活躍を見せる建築家、隈研吾。順風満帆、連戦連勝に見える隈はバブル末期に独立しているが、実は早々に仕事を失うこととなる。1991年に自動車メーカー〈マツダ〉のデザインラボとして発表した〈M2〉は、当時流行したポストモダンを批評的に表現した建築だ。しかしこの建築は酷評され、それをきっかけに建築界から干されることとなる。日本経済同様、自身にとっても「失われた10年」だと隈は振り返る。
この「失われた10年」に隈は活動を地方に移し、さまざまな職人の仕事を取り入れた建築を実現する。同時にさまざまな媒体で文章を発表した時期でもある。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が起こった1995年から、隈が再び建築の第一線へと踊り出す時期の2003年までに書いた文章をまとめた書籍が『負ける建築』だ。タイトルは隈の新たな建築観である「受動性」を象徴する言葉として示されている。
隈は『負ける建築』で20世紀の建築を総括する。そのなかで建築が目指してきたものと同時にその問題点を見つめながら、これからの建築像を模索していく。タイトルの由来になった文章が建築専門誌『新建築』2000年8月号に発表した「負けるが勝ち」だ。ここで隈は建築界を支配する形式対自由という二項対立を退屈なものだとし、冷戦後の世界では能動的な「勝つ建築」よりも受動的な「負ける建築」が新たな支配者だと書く。そこで隈は「負けることのかっこの悪さが、逆にかっこいいのである。」と書く。
本書はそもそも「建築というもの自体が社会の敵なのかもしれない。」という刺激的な一文で始まる。隈は自由という言葉を盾に建築が勝ってきた時代を批評しつつ、同時に負ける建築の時代においても「建築はどんなに負けようが、負けたふりをしようが、それでもまだまだ強いという事実を自覚することである。資源やエネルギーを消費し、周囲の景観に影響を与え、ユーザーの行動や心理を規定し、そのような様々な形で建築は勝ってしまうのである。」と続ける。だからこそ、それを自覚したうえで建築を実現せねばならないと締める。建築とは本質的に勝ってしまう存在であり、だからこそ負ける建築を丹念に作らねばならないとする。
つまり隈が目指しているのは、さまざまな状況を受け入れる建築である。それはいまなお能動的であろうとする向きから批判も少なくない。ただ冒頭で触れた〈M2〉がいまも葬儀場として使用されている事実は見逃せない。同時期に隈が設計した〈ドーリック南青山ビル〉も現役で活躍する。負けることを選んだ建築家はなぜ世界を魅了しつづけるのか。本書はその理由を教えてくれる一冊だ。
国内外で、公共建築、美術館、博物館、集合住宅、ショップのインテリアなどを手がけ、家具やシューズなどのデザインまで実に幅広い活躍を見せる建築家、隈研吾。順風満帆、連戦連勝に見える隈はバブル末期に独立しているが、実は早々に仕事を失うこととなる。1991年に自動車メーカー〈マツダ〉のデザインラボとして発表した〈M2〉は、当時流行したポストモダンを批評的に表現した建築だ。しかしこの建築は酷評され、それをきっかけに建築界から干されることとなる。日本経済同様、自身にとっても「失われた10年」だと隈は振り返る。
この「失われた10年」に隈は活動を地方に移し、さまざまな職人の仕事を取り入れた建築を実現する。同時にさまざまな媒体で文章を発表した時期でもある。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が起こった1995年から、隈が再び建築の第一線へと踊り出す時期の2003年までに書いた文章をまとめた書籍が『負ける建築』だ。タイトルは隈の新たな建築観である「受動性」を象徴する言葉として示されている。
隈は『負ける建築』で20世紀の建築を総括する。そのなかで建築が目指してきたものと同時にその問題点を見つめながら、これからの建築像を模索していく。タイトルの由来になった文章が建築専門誌『新建築』2000年8月号に発表した「負けるが勝ち」だ。ここで隈は建築界を支配する形式対自由という二項対立を退屈なものだとし、冷戦後の世界では能動的な「勝つ建築」よりも受動的な「負ける建築」が新たな支配者だと書く。そこで隈は「負けることのかっこの悪さが、逆にかっこいいのである。」と書く。
本書はそもそも「建築というもの自体が社会の敵なのかもしれない。」という刺激的な一文で始まる。隈は自由という言葉を盾に建築が勝ってきた時代を批評しつつ、同時に負ける建築の時代においても「建築はどんなに負けようが、負けたふりをしようが、それでもまだまだ強いという事実を自覚することである。資源やエネルギーを消費し、周囲の景観に影響を与え、ユーザーの行動や心理を規定し、そのような様々な形で建築は勝ってしまうのである。」と続ける。だからこそ、それを自覚したうえで建築を実現せねばならないと締める。建築とは本質的に勝ってしまう存在であり、だからこそ負ける建築を丹念に作らねばならないとする。
つまり隈が目指しているのは、さまざまな状況を受け入れる建築である。それはいまなお能動的であろうとする向きから批判も少なくない。ただ冒頭で触れた〈M2〉がいまも葬儀場として使用されている事実は見逃せない。同時期に隈が設計した〈ドーリック南青山ビル〉も現役で活躍する。負けることを選んだ建築家はなぜ世界を魅了しつづけるのか。本書はその理由を教えてくれる一冊だ。
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