CULTURE
【本と名言365】イサム・ノグチ|「建築は彫刻だ」
March 20, 2024 | Culture, Art, Design | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Keiko Kamijo illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。札幌の〈モエレ沼公園〉という超巨大な作品から、行灯をモチーフにし200種類以上のデザインがある照明《AKARI》シリーズ、そして遊具や庭など数多くの作品を世に残した総合芸術家イサム・ノグチ。彫刻に「有用性」を求めた作家が語った神髄とは。
建築は彫刻だ
「総合芸術家」、彫刻からインテリアプロダクト、庭や公園まで、非常に幅広い作品を手掛けたイサム・ノグチにふさわしい肩書きだ。ノグチは詩人・野口米次郎と、アメリカ人作家・レオニー・ギルモアとの間に生まれた。幼少期は日本で育ち、日本固有の自然観を育む。後に「日本では自然をはるかに鋭敏に意識する——自然の広大なパノラマではなく、そのディテール。一匹の昆虫、一枚の葉、一輪の花」とアメリカとの違いを語っている。
母は、イサムが幼稚園の時に作った彫刻を見てアーティストになることを強く期待する。そして、1915年11歳の頃より日本人指物師に弟子入りさせ道具の扱いなどを学ぶ。その後14歳で渡米、高校、美術学校で彫刻を学び才能を発揮する。また、パリのコンスタンティン・ブランクーシに弟子入りする。半年間でニューヨークへと戻り、アトリエを構え、個展を開催する。
戦後、ジョージ・ネルソンの依頼から「ノグチ・テーブル」をデザイン制作し、インテリアデザインを制作し始める。その後、丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらとの交流から、日本の仕事が増えていく。
この言葉は、1979年に交わされたポール・カミングスとの対話の中での発言から。1933年頃と比較的初期の活動から「プレイグラウンド」と「プレイマウンテン」を作り始めたというノグチは、当時のことを「頭像づくりにはうんざり。別の領域、別の次元にはいりこみたいという強い欲求があった」と語っている。彫刻をよりパブリックな方へ向かわせ、庭に近いものとして考え始める。また、芸術という言葉にも懐疑的になっていた、芸術のための芸術ではなく、機能、有用性を持つアートをつくりたいという欲求だ。抽象芸術の存在は認めながらも、機能への思いは捨てられなかった。それが《AKARI》シリーズの制作にもつながっている。
《あかり》をつくって、人びとがはいれるようにしたかった(中略)建築は彫刻だと言うことができる。彫刻を、ただ見つめるだけではなく完全に経験すべきなにかとして考えている。そのなかに包み込まれる——お母さんの子宮に戻る、みたいなこと。(中略)ぼくの環境はぼくの彫刻、ぼくの世界だ。それは定冠詞のついた世界、そしてそのとき世界は彫刻になる。だから、すべてが彫刻だ。僕は誇大妄想的だね。
彫刻のなかに入る、という体験。それは、その後制作することになる遊具や庭等のランドアートにも繋がっていく。石や木、紙といった自然素材を用い、大小さまざまなスケールで五感を通して人の身体にかかわるノグチの彫刻作品は、私たちが触れることのできる新たな自然なのかもしれない。
「総合芸術家」、彫刻からインテリアプロダクト、庭や公園まで、非常に幅広い作品を手掛けたイサム・ノグチにふさわしい肩書きだ。ノグチは詩人・野口米次郎と、アメリカ人作家・レオニー・ギルモアとの間に生まれた。幼少期は日本で育ち、日本固有の自然観を育む。後に「日本では自然をはるかに鋭敏に意識する——自然の広大なパノラマではなく、そのディテール。一匹の昆虫、一枚の葉、一輪の花」とアメリカとの違いを語っている。
母は、イサムが幼稚園の時に作った彫刻を見てアーティストになることを強く期待する。そして、1915年11歳の頃より日本人指物師に弟子入りさせ道具の扱いなどを学ぶ。その後14歳で渡米、高校、美術学校で彫刻を学び才能を発揮する。また、パリのコンスタンティン・ブランクーシに弟子入りする。半年間でニューヨークへと戻り、アトリエを構え、個展を開催する。
戦後、ジョージ・ネルソンの依頼から「ノグチ・テーブル」をデザイン制作し、インテリアデザインを制作し始める。その後、丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらとの交流から、日本の仕事が増えていく。
この言葉は、1979年に交わされたポール・カミングスとの対話の中での発言から。1933年頃と比較的初期の活動から「プレイグラウンド」と「プレイマウンテン」を作り始めたというノグチは、当時のことを「頭像づくりにはうんざり。別の領域、別の次元にはいりこみたいという強い欲求があった」と語っている。彫刻をよりパブリックな方へ向かわせ、庭に近いものとして考え始める。また、芸術という言葉にも懐疑的になっていた、芸術のための芸術ではなく、機能、有用性を持つアートをつくりたいという欲求だ。抽象芸術の存在は認めながらも、機能への思いは捨てられなかった。それが《AKARI》シリーズの制作にもつながっている。
《あかり》をつくって、人びとがはいれるようにしたかった(中略)建築は彫刻だと言うことができる。彫刻を、ただ見つめるだけではなく完全に経験すべきなにかとして考えている。そのなかに包み込まれる——お母さんの子宮に戻る、みたいなこと。(中略)ぼくの環境はぼくの彫刻、ぼくの世界だ。それは定冠詞のついた世界、そしてそのとき世界は彫刻になる。だから、すべてが彫刻だ。僕は誇大妄想的だね。
彫刻のなかに入る、という体験。それは、その後制作することになる遊具や庭等のランドアートにも繋がっていく。石や木、紙といった自然素材を用い、大小さまざまなスケールで五感を通して人の身体にかかわるノグチの彫刻作品は、私たちが触れることのできる新たな自然なのかもしれない。
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