CULTURE
【本と名言365】アイリーン・グレイ|「未来の計画は輝いているが…」
November 15, 2023 | Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。孤高の建築家と表現されることも多いアイリーン・グレイ。建築のみならず、その家具はマスターピースの一つとして愛され続けている。波乱の人生を歩んだ彼女が遺したのは、力強い創作を行った人柄を示す象徴的な言葉だ。
未来の計画は輝いているが、過去はたんなる影にすぎない
1976年、98歳で生涯を閉じた建築家でありデザイナーのアイリーン・グレイ。死後の名声に関心がなかった彼女は死の間際、自身の写真や手紙などを燃やしてしまう。「未来の計画は輝いているが、過去はたんなる影にすぎない」とも言った彼女が現状をどのように思うかは推して知るべしだが、思いに反して再評価は年々高まっている。
晩年はほとんど忘れられた存在になっていたグレイだが、再評価はぎりぎり彼女が亡くなる前に始まった。1972年にクチュリエでアートコレクターのジャック・ドゥーセの遺品がオークションにかけられ、そこで彼が所有していたアールデコの家具のなかにあった漆塗りの四曲スクリーンが高額をつけたことからメディアがグレイに注目を始める。この時にファッションデザイナーのイヴ・サンローランが彼女の作品のコレクターになったことで、その注目はますます高まる。しかし存命中のグレイはその状況を「バカバカしい」と素っ気なく見ていたようだ。さらに2009年、今度はイヴ・サンローランとピエール・ベルジェのコレクションがクリスティーズで競売にかけられる。そこでグレイの手掛けた椅子が当時の史上最高額で落札されて話題になった。続いて、ル・コルビュジエとの確執を描くことで彼女が1929年に完成させた住宅〈E-1027〉への再評価を促す映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』も公開された。その住宅も修復とともに公開され、ようやく彼女自身の意図を伝えるものとなった。
グレイの再評価は、これまでないがしろにされてきた女性たちの仕事への正しい評価とともに高まってきたといっていい。アイルランドの裕福な貴族の家に生まれた彼女は生来の独立精神から、自立の手段としてロンドンの美術学校に入学する。実際には花嫁学校の性質が強い学校での出会いを通じ、さらにパリへ渡って芸術を学んだ。アーツアンドクラフトが生まれた土地に育った彼女は、デ・スティル、ドイツ工作連盟、バウハウスなどの影響を受けつつ、漆職人としてパリ万博にやってきた日本人学生の菅原精造と出会い、漆工芸を学び作品を生み出すようになる。ここからドゥーセとの出会いを経てプロフェッショナルの道が開け、やがてアパルトマンのインテリアを手がけ始める。当時は一人のデザイナーがインテリアデザインを全体に手がけることは稀で、その先駆者となっていく。
1926年から1929年にかけ、グレイは建築評論家で当時のパートナーであったジャン・バドヴィッチの助言を受けて〈E1027〉を建築する。彼女はアイデアのいくつかをバドヴィッチのものとし、ル・コルビュジエが提唱した近代建築の五原則に則ったプランニングを行っている。それでもなおル・コルビュジエの〈サヴォア邸〉を先駆け、さらに、建築、インテリア、家具を、一人でトータルに作り上げた彼女の先進性には驚かされる。そもそもル・コルビュジエにはピエール・ジャンヌレやシャルロット・ペリアンらの共作者がいた。グレイはヨーロッパのなかでめまぐるしく生まれる新たなスタイルに目を向けつつ、現代を生きることに対して貪欲であった。苦労して建設したヴィラも完成後はバドヴィッチに新しい愛人が出来たことで、二人は別れる。しかしグレイは〈E1027〉をバドヴィッチに譲り、自身は別の別荘を建てる。常に前を向いたグレイだからこそ、「未来の計画は輝いているが、過去はたんなる影にすぎない」と語ったのだ。
1976年、98歳で生涯を閉じた建築家でありデザイナーのアイリーン・グレイ。死後の名声に関心がなかった彼女は死の間際、自身の写真や手紙などを燃やしてしまう。「未来の計画は輝いているが、過去はたんなる影にすぎない」とも言った彼女が現状をどのように思うかは推して知るべしだが、思いに反して再評価は年々高まっている。
晩年はほとんど忘れられた存在になっていたグレイだが、再評価はぎりぎり彼女が亡くなる前に始まった。1972年にクチュリエでアートコレクターのジャック・ドゥーセの遺品がオークションにかけられ、そこで彼が所有していたアールデコの家具のなかにあった漆塗りの四曲スクリーンが高額をつけたことからメディアがグレイに注目を始める。この時にファッションデザイナーのイヴ・サンローランが彼女の作品のコレクターになったことで、その注目はますます高まる。しかし存命中のグレイはその状況を「バカバカしい」と素っ気なく見ていたようだ。さらに2009年、今度はイヴ・サンローランとピエール・ベルジェのコレクションがクリスティーズで競売にかけられる。そこでグレイの手掛けた椅子が当時の史上最高額で落札されて話題になった。続いて、ル・コルビュジエとの確執を描くことで彼女が1929年に完成させた住宅〈E-1027〉への再評価を促す映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』も公開された。その住宅も修復とともに公開され、ようやく彼女自身の意図を伝えるものとなった。
グレイの再評価は、これまでないがしろにされてきた女性たちの仕事への正しい評価とともに高まってきたといっていい。アイルランドの裕福な貴族の家に生まれた彼女は生来の独立精神から、自立の手段としてロンドンの美術学校に入学する。実際には花嫁学校の性質が強い学校での出会いを通じ、さらにパリへ渡って芸術を学んだ。アーツアンドクラフトが生まれた土地に育った彼女は、デ・スティル、ドイツ工作連盟、バウハウスなどの影響を受けつつ、漆職人としてパリ万博にやってきた日本人学生の菅原精造と出会い、漆工芸を学び作品を生み出すようになる。ここからドゥーセとの出会いを経てプロフェッショナルの道が開け、やがてアパルトマンのインテリアを手がけ始める。当時は一人のデザイナーがインテリアデザインを全体に手がけることは稀で、その先駆者となっていく。
1926年から1929年にかけ、グレイは建築評論家で当時のパートナーであったジャン・バドヴィッチの助言を受けて〈E1027〉を建築する。彼女はアイデアのいくつかをバドヴィッチのものとし、ル・コルビュジエが提唱した近代建築の五原則に則ったプランニングを行っている。それでもなおル・コルビュジエの〈サヴォア邸〉を先駆け、さらに、建築、インテリア、家具を、一人でトータルに作り上げた彼女の先進性には驚かされる。そもそもル・コルビュジエにはピエール・ジャンヌレやシャルロット・ペリアンらの共作者がいた。グレイはヨーロッパのなかでめまぐるしく生まれる新たなスタイルに目を向けつつ、現代を生きることに対して貪欲であった。苦労して建設したヴィラも完成後はバドヴィッチに新しい愛人が出来たことで、二人は別れる。しかしグレイは〈E1027〉をバドヴィッチに譲り、自身は別の別荘を建てる。常に前を向いたグレイだからこそ、「未来の計画は輝いているが、過去はたんなる影にすぎない」と語ったのだ。
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