CULTURE
【本と名言365】岡倉天心|「茶道の要義は…」
November 12, 2023 | Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Mariko Uramoto illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。1906年に英文で『茶の本』を出版し、日本文化の精神と情緒を欧米の知識人に広めた岡倉天心。そこには海外で日本文化を伝える上で欠かすことができない美意識が綴られていました。
茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。
貿易商の父の教育方針によって、日本語の読み書きの前に英語を覚えたと言われている岡倉天心。類い稀な語学力を持ち、わずか10歳で東京外国語学校(現在の東京外国語大学)に入学。その後、外国人のアーネスト・フェノロサの助手として日本美術の調査を始めると、衰退していた日本文化の再興を図るように。1887年東京美術学校を設立し、日本における美術教育の礎を築くものの、東京美術学校校長の職を追われてしまう。英語力と人脈を活かして1904年にボストン美術館に迎えられた天心は、1906年アメリカの出版社より『茶の本』を刊行した。
彼はなぜ英語で『茶の本』を発表したのか? それは西洋諸国に対して茶道を入り口に日本文化の美意識の理解を深め、対話を促進するためだった。当時は「文明開化」を合言葉に急激な西洋化が推し進められた時代。欧米やキリスト教文化こそが世界の中心であり、東洋の文化は遅れていると捉えられていた。それに対して、天心は「いつになったら西洋は東洋を理解するのだろう」と憂いた。
禅の思想に基づく精神性を宿しながら日本で独自に発展していった茶道は不均衡で不完全なものにこそ美が宿るとされてきた。「茶道の要義は『不完全なもの』を崇拝するにある」という言葉には、西洋と東洋で異なる価値観があるだけで、優劣をつける必要がないことを伝える。そして、その言葉は西洋の模倣文明の中にいる日本人に向けたものでもあった。
貿易商の父の教育方針によって、日本語の読み書きの前に英語を覚えたと言われている岡倉天心。類い稀な語学力を持ち、わずか10歳で東京外国語学校(現在の東京外国語大学)に入学。その後、外国人のアーネスト・フェノロサの助手として日本美術の調査を始めると、衰退していた日本文化の再興を図るように。1887年東京美術学校を設立し、日本における美術教育の礎を築くものの、東京美術学校校長の職を追われてしまう。英語力と人脈を活かして1904年にボストン美術館に迎えられた天心は、1906年アメリカの出版社より『茶の本』を刊行した。
彼はなぜ英語で『茶の本』を発表したのか? それは西洋諸国に対して茶道を入り口に日本文化の美意識の理解を深め、対話を促進するためだった。当時は「文明開化」を合言葉に急激な西洋化が推し進められた時代。欧米やキリスト教文化こそが世界の中心であり、東洋の文化は遅れていると捉えられていた。それに対して、天心は「いつになったら西洋は東洋を理解するのだろう」と憂いた。
禅の思想に基づく精神性を宿しながら日本で独自に発展していった茶道は不均衡で不完全なものにこそ美が宿るとされてきた。「茶道の要義は『不完全なもの』を崇拝するにある」という言葉には、西洋と東洋で異なる価値観があるだけで、優劣をつける必要がないことを伝える。そして、その言葉は西洋の模倣文明の中にいる日本人に向けたものでもあった。
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