CULTURE
【本と名言365】ソール・バス|「私にとってデザインとは…」
October 19, 2023 | Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Keiko Kamijo illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。今まで見向きもされなかった、映画のタイトルバックに革命を起こしたデザイナーのソール・バス。彼が掲げる創造哲学とは?
私にとってデザインとは「功芸」なのだ。
映画のタイトルバックに革命を起こしたデザイナー、ソール・バス。タイトルバックというのは、映画のオープニングやエンディングに入る映画タイトルやスタッフクレジットが流れる部分を言う。映像作品には必ずタイトルバックが入るものだが、そこまで重要視されておらず、劇場では物語が始まるまで幕が上がらなかったり、本編が終了するとすぐに幕が下ろされてしまうなんてことがあったそうだ。しかし、ソール・バスという一人のデザイナーの出現によって、タイトルバックのデザイン、そして考え方自体がガラリと変わったのだ。
ソール・バスが映画タイトルの世界へと足を踏み入れたのは、映画監督オットー・プレミンジャーとの出会いによる。1954年、グラフィックデザイナーとして様々な仕事をしていたバスのところに、プレミンジャーから映画『カルメン』のポスター制作の依頼が舞い込んでくる。そのデザインを気に入って、「動かしてみよう」という話になり、タイトルバックも任せることになった。
「以前から映画は冒頭から魅せるべきだと思っていた。従来のタイトルバックは単なる名前の羅列で観客は無関心だった。だからタイトルバックをうまく利用して、作品の雰囲気を伝えたかった」(ソール・バス、DVD『ソール・バスの世界』より)
そして、翌年手がけた『黄金の腕』のビジュアルおよびタイトルバックで大成功を収める。ジャズのリズムに合わせ白く太い線が数本にょきっと画面に現れる、その間を縫うように役者の文字が現れ、最後はその白い線が一本の曲がった腕になるというものだ。主人公が麻薬中毒者であることから、この印象的なビジュアルが用いたというが、言葉での説明なんて必要ない。一目でグサッと心に刺さってくるデザインだ。映画のリール缶には、映写技師向けの注意書きが書かれていたという。
「タイトルが出る前には、必ず幕を上げておくこと」
『ウエストサイド物語』(1961年)では、主人公の死という暴力的なラストシーンの余韻を味わってもらうために、彼らが生きた町を舞台に、壁の落書きでスタッフの名前を記すという長尺のエンドクレジットを制作。『セコンド』(1966年)では、人間が生命の操作をするという物語に合わせ、人の顔のクローズアップが映像効果によって歪められていく映像に。アニメーションを使ったものも多く、『80日間世界一周』(1956年)や『おかしなおかしなおかしな世界』(1963年)では、メタモルフォーゼとジョークを巧みに使う。
企業のロゴデザインやCIなども多く手がけたバスだが、映画が大好きであり、映画本編のコンサルタントを手がけた作品も多い。有名なのは、ヒッチコックの『サイコ』(1960年)だろう。その後登場する多くの映画監督やデザイナーが、バスの影響を受けており、映画づくりそのものにも多大な影響を与えている。
彼はインタビューで自身の創作についてこのように語った。
「私はデザインをするのが好きだ。私はデザインが有益な仕事だと信じている。デザインはコミュニケーションの問題を解決できるし、私たちの環境を良くし、イマジネーションを活発にさせる。デザインによって時には人生を洞察することさえできる。何かしら私を心地悪く感じさせるのは「哲学」という言葉だろう。私にとってデザインとは「功芸」なのだ。そして、私は一所懸命、よい職工になろうと努めている。そのように考えると、これが私の創造哲学なのかもしれない」
映画のタイトルバックに革命を起こしたデザイナー、ソール・バス。タイトルバックというのは、映画のオープニングやエンディングに入る映画タイトルやスタッフクレジットが流れる部分を言う。映像作品には必ずタイトルバックが入るものだが、そこまで重要視されておらず、劇場では物語が始まるまで幕が上がらなかったり、本編が終了するとすぐに幕が下ろされてしまうなんてことがあったそうだ。しかし、ソール・バスという一人のデザイナーの出現によって、タイトルバックのデザイン、そして考え方自体がガラリと変わったのだ。
ソール・バスが映画タイトルの世界へと足を踏み入れたのは、映画監督オットー・プレミンジャーとの出会いによる。1954年、グラフィックデザイナーとして様々な仕事をしていたバスのところに、プレミンジャーから映画『カルメン』のポスター制作の依頼が舞い込んでくる。そのデザインを気に入って、「動かしてみよう」という話になり、タイトルバックも任せることになった。
「以前から映画は冒頭から魅せるべきだと思っていた。従来のタイトルバックは単なる名前の羅列で観客は無関心だった。だからタイトルバックをうまく利用して、作品の雰囲気を伝えたかった」(ソール・バス、DVD『ソール・バスの世界』より)
そして、翌年手がけた『黄金の腕』のビジュアルおよびタイトルバックで大成功を収める。ジャズのリズムに合わせ白く太い線が数本にょきっと画面に現れる、その間を縫うように役者の文字が現れ、最後はその白い線が一本の曲がった腕になるというものだ。主人公が麻薬中毒者であることから、この印象的なビジュアルが用いたというが、言葉での説明なんて必要ない。一目でグサッと心に刺さってくるデザインだ。映画のリール缶には、映写技師向けの注意書きが書かれていたという。
「タイトルが出る前には、必ず幕を上げておくこと」
『ウエストサイド物語』(1961年)では、主人公の死という暴力的なラストシーンの余韻を味わってもらうために、彼らが生きた町を舞台に、壁の落書きでスタッフの名前を記すという長尺のエンドクレジットを制作。『セコンド』(1966年)では、人間が生命の操作をするという物語に合わせ、人の顔のクローズアップが映像効果によって歪められていく映像に。アニメーションを使ったものも多く、『80日間世界一周』(1956年)や『おかしなおかしなおかしな世界』(1963年)では、メタモルフォーゼとジョークを巧みに使う。
企業のロゴデザインやCIなども多く手がけたバスだが、映画が大好きであり、映画本編のコンサルタントを手がけた作品も多い。有名なのは、ヒッチコックの『サイコ』(1960年)だろう。その後登場する多くの映画監督やデザイナーが、バスの影響を受けており、映画づくりそのものにも多大な影響を与えている。
彼はインタビューで自身の創作についてこのように語った。
「私はデザインをするのが好きだ。私はデザインが有益な仕事だと信じている。デザインはコミュニケーションの問題を解決できるし、私たちの環境を良くし、イマジネーションを活発にさせる。デザインによって時には人生を洞察することさえできる。何かしら私を心地悪く感じさせるのは「哲学」という言葉だろう。私にとってデザインとは「功芸」なのだ。そして、私は一所懸命、よい職工になろうと努めている。そのように考えると、これが私の創造哲学なのかもしれない」
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