CULTURE
【本と名言365】アルヴァ・アアルト|「あなたは、何もかもがとても自然で、…」
October 23, 2023 | Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。フィンランドを拠点に活動し、現在まで世界中の人々に愛される建築や家具、照明などで知られるアルヴァ・アアルト。その活動において妻、アイノの存在はとても大きなものだった。ここでは二人の関係性を伝える言葉を紹介する。
あなたは、何もかもがとても自然で、世界一の建築家であることは間違いありません。
20世紀を代表する建築家の一人、アルヴァ・アアルト。フィンランドを拠点に活動し、その建築とともに家具や照明などでも数多の名作を遺したことで知られる。しかし近年、アアルトの前期における作品はアルヴァのみならず、妻アイノとの密な協働から生まれたものであることが研究から再確認されている。日本でも二人の足跡を追った展覧会やドキュメンタリー映画の公開が続くなか、夫妻の往復書簡を中心とした書籍『アイノとアルヴァ アアルト書簡集』も発売された。
アイノとアルヴァと出会うのは1924年。アルヴァが前年に開設した事務所でアシスタントとしてアイノが働き始め、同年のうちに二人は結婚する。アイノが亡くなる1949年まで25年にわたるアイノとアルヴァの活動は実に精力的だ。1928年、コンペで一等を獲得した〈パイミオのサナトリウム〉はアアルト夫妻にとって大きな転機となる。彼らはここではモダニズムに目を向けるが、同時にフィンランド固有の風土と結びつきながら、建築とともにある家具のあり方を模索する。これが後に家具メーカー〈アルテック〉の設立に発展する。
この時期にアルヴァはCIAM(近代建築国際会議)の終身会員となり、ヴァルター・グロピウスやル・コルビュジエらと交流を重ねる。会議への出席で家を空けたアルヴァはアイノと手紙の往復で互いの近況を知らせ合うが、なかなか帰国しないアルヴァにアイノが苦言を呈する書簡も『アイノとアルヴァ アアルト書簡集』で触れられる。デザイン、経営、そして家族について語り合う等身大の二人をいまに伝える点が、これまでの書籍にない新鮮な驚きを与えてくれる。
アルヴァは第二次世界大戦後、アメリカのマサチューセッツ工科大学の教授に招かれる。現地で学生寮の設計を行いながら、うまく進まぬストレスがアルヴァに募る。そのなかでアルヴァは故郷を思い、アイノに宛てて「あなたは、何もかもがとても自然で、世界一の建築家であることは間違いありません。」と記している。そんな彼を励ましながら、アイノは〈アルテック〉の経営に尽力しつつフィンランド国内で進行するプロジェクトを果敢に舵取りしている。ここに二人の愛や信頼関係を見るのは感傷的だろうか。この間、アイノの病は進行していく。
アイノの優れたデザイン力をいまに伝えるのが、イッタラで最も長い歴史をもつシリーズ〈アイノ・アアルト〉だ。ほとんどのデザインを夫婦共作としていたが、1932年に開催されたガラスコンペではアイノ単独で参加している。ここアイノの作品〈ボルゲブリック〉が受賞作となり、後にミラノトリエンナーレで金賞も受賞する。実はプロダクトにおける世界的な評価はアルヴァよりもアイノのほうが早かったとされる所以だ。いまは彼女の名で製品の販売が続く。もちろんアルヴァが並外れた才能をもっていたことは疑いようもないが、実はアイノと互いに影響を与え合うことで数々のマスターピースを生み出した事実がある。同世代のヨゼフ&アニ・アルバース、そして後に続くチャールズ&レイ・イームズなど、夫婦の視点が混じり合うことで類い希なる創作に結びついた例も少なくない。まさに公私をともにした二人だからこそ生み出した作品としてアアルトの名作群を見つめ直すと、そこには大きな発見がある。
20世紀を代表する建築家の一人、アルヴァ・アアルト。フィンランドを拠点に活動し、その建築とともに家具や照明などでも数多の名作を遺したことで知られる。しかし近年、アアルトの前期における作品はアルヴァのみならず、妻アイノとの密な協働から生まれたものであることが研究から再確認されている。日本でも二人の足跡を追った展覧会やドキュメンタリー映画の公開が続くなか、夫妻の往復書簡を中心とした書籍『アイノとアルヴァ アアルト書簡集』も発売された。
アイノとアルヴァと出会うのは1924年。アルヴァが前年に開設した事務所でアシスタントとしてアイノが働き始め、同年のうちに二人は結婚する。アイノが亡くなる1949年まで25年にわたるアイノとアルヴァの活動は実に精力的だ。1928年、コンペで一等を獲得した〈パイミオのサナトリウム〉はアアルト夫妻にとって大きな転機となる。彼らはここではモダニズムに目を向けるが、同時にフィンランド固有の風土と結びつきながら、建築とともにある家具のあり方を模索する。これが後に家具メーカー〈アルテック〉の設立に発展する。
この時期にアルヴァはCIAM(近代建築国際会議)の終身会員となり、ヴァルター・グロピウスやル・コルビュジエらと交流を重ねる。会議への出席で家を空けたアルヴァはアイノと手紙の往復で互いの近況を知らせ合うが、なかなか帰国しないアルヴァにアイノが苦言を呈する書簡も『アイノとアルヴァ アアルト書簡集』で触れられる。デザイン、経営、そして家族について語り合う等身大の二人をいまに伝える点が、これまでの書籍にない新鮮な驚きを与えてくれる。
アルヴァは第二次世界大戦後、アメリカのマサチューセッツ工科大学の教授に招かれる。現地で学生寮の設計を行いながら、うまく進まぬストレスがアルヴァに募る。そのなかでアルヴァは故郷を思い、アイノに宛てて「あなたは、何もかもがとても自然で、世界一の建築家であることは間違いありません。」と記している。そんな彼を励ましながら、アイノは〈アルテック〉の経営に尽力しつつフィンランド国内で進行するプロジェクトを果敢に舵取りしている。ここに二人の愛や信頼関係を見るのは感傷的だろうか。この間、アイノの病は進行していく。
アイノの優れたデザイン力をいまに伝えるのが、イッタラで最も長い歴史をもつシリーズ〈アイノ・アアルト〉だ。ほとんどのデザインを夫婦共作としていたが、1932年に開催されたガラスコンペではアイノ単独で参加している。ここアイノの作品〈ボルゲブリック〉が受賞作となり、後にミラノトリエンナーレで金賞も受賞する。実はプロダクトにおける世界的な評価はアルヴァよりもアイノのほうが早かったとされる所以だ。いまは彼女の名で製品の販売が続く。もちろんアルヴァが並外れた才能をもっていたことは疑いようもないが、実はアイノと互いに影響を与え合うことで数々のマスターピースを生み出した事実がある。同世代のヨゼフ&アニ・アルバース、そして後に続くチャールズ&レイ・イームズなど、夫婦の視点が混じり合うことで類い希なる創作に結びついた例も少なくない。まさに公私をともにした二人だからこそ生み出した作品としてアアルトの名作群を見つめ直すと、そこには大きな発見がある。
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