CULTURE
ヒルマ・アフ・クリントという画家を知っていますか?
| Culture, Art | casabrutus.com | text_Naoko Aono editor_Keiko Kusano
カンディンスキーより先に抽象画を描いた画家がいた。もしそれが本当なら、美術史が書き換えられることになります。その謎の画家、ヒルマ・アフ・クリントに迫る映画です。
バウハウスでも教鞭を執った画家、ヴァシリー・カンディンスキーは「私が最初に抽象画を描いたのは1911年です」と発言している。これまでの美術史では、これが抽象絵画の始まりだと考えられていた。が、それに先立つ1906年から1907年にかけて抽象絵画を制作していた女性がいる。1862年スウェーデン生まれのヒルマ・アフ・クリントという画家だ。『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』は彼女の足跡を追ったドキュメンタリー映画。ヒルマの子孫や美術評論家、学芸員らが彼女の生涯と作品について証言する。
王立美術院で学んだ彼女は当時まだ珍しかった女性の画家として肖像画や風景画を描き、商業的な成功を収めていた。ストックホルムの中心部にゆったりとしたアトリエを構え、忙しく働いていた。その一方で彼女は霊的世界や神智学にひかれるようになり、円や渦巻き、三角形や四角形、装飾的に変形された文字などをモチーフにした絵を描き始める。彼女は18歳のころ、妹を亡くしている。このことが”見えない世界”に目を向ける一つのきっかけになったようだ。
ヒルマは志を同じくする4人の女性画家とともに「De Fem(5人)」という名のアーティスト集団を結成する。また神智学を標榜したルドルフ・シュタイナーと知り合い、手紙のやりとりをしていた。〈ゲーテアヌム〉を建設していたシュタイナーにヒルマはコラボレーションを申し出たこともある。この案はシュタイナーが多忙だったためか、実現しなかった。
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