ART
絵をみること、本を読むことの贈りもの。奈良美智の本|鈴木芳雄の「本と展覧会」
February 4, 2024 | Art, Design, Travel | casabrutus.com | photo_Keiko Nakajima text_Yoshio Suzuki editor_Keiko Kusano
奈良美智さんの絵の前に立つと、ちょっと心が動いたり、なにか迷いが消えたり、少し前向きな気持ちになったり、そんな経験、ありません? 絵を見ることって、展覧会に行くことって、そうかそういうこと。絵を見る前に比べて、なんだかいい人になれたり、気のせいか人生が豊かになった気がしたりする。そんな贈りもの、絵からもらうように奈良さんの本からももらえます。
描かれるのが人物だから、それも、かつて自分にもあった若い頃、幼い頃の姿だから感情移入できてしまう。あるいは、心の中を見せてしまうような絵だから共感できる。絵を見たあとは気持ちの高まりや不思議な肯定感をもらえたり。奈良の絵の魅力についてはいろいろ語ることができるだろう。
故郷の青森での大規模な個展『奈良美智: The Beginning Place ここから』。音楽が好きで、旅をし続けていて、子どもの頃からの読書家である奈良美智という人。そして描く絵によって多くの人の心を揺さぶったり、鎮めたりする人。そんな彼の本を見ていこう。
まずは、今回の展覧会の公式カタログ。展示風景も撮影して収めてある。だから、展覧会が始まってから1カ月くらいしてから刊行された。150ページくらいの立派な本。
故郷の青森での大規模な個展『奈良美智: The Beginning Place ここから』。音楽が好きで、旅をし続けていて、子どもの頃からの読書家である奈良美智という人。そして描く絵によって多くの人の心を揺さぶったり、鎮めたりする人。そんな彼の本を見ていこう。
まずは、今回の展覧会の公式カタログ。展示風景も撮影して収めてある。だから、展覧会が始まってから1カ月くらいしてから刊行された。150ページくらいの立派な本。
高校時代までを青森県弘前市で過ごした奈良にとって、大学生たちと作り、のちにアルバイトをしたロック喫茶は趣味の場、学びの場であった。そのことはこれまでもいくつかのインタビューや本の中で語られていたが、今回の展覧会では建物を再現して、実態を見せてくれた。
「奈良が生まれた弘前市にある弘南鉄道大鰐線の駅『西弘前駅』(現弘前学院前駅)の近くに、1977年9月29日、『JAIL HOUSE 33 1/3』(以下『33 1/3』)という名の一軒のロック喫茶が開店しました。『サーティスリー』と呼ばれて親しまれたこの店は、当時の弘前では珍しいロック音楽を聴ける喫茶店でした。」(『奈良美智:The Beginning Place ここから』展示解説より)
高校生のときから地元のライブハウスに出入りしていた関係で、奈良はその新しく作られるロック喫茶の店舗づくりに誘われた。もともと物づくりに長けていた奈良は内装の壁、ガラス窓、テーブル、椅子、カウンターまで作ったという。さらにシャッターに絵を描き、ステージの壁にかける大きな絵も描いた。そして、開店後は毎日のように通った。
「奈良が生まれた弘前市にある弘南鉄道大鰐線の駅『西弘前駅』(現弘前学院前駅)の近くに、1977年9月29日、『JAIL HOUSE 33 1/3』(以下『33 1/3』)という名の一軒のロック喫茶が開店しました。『サーティスリー』と呼ばれて親しまれたこの店は、当時の弘前では珍しいロック音楽を聴ける喫茶店でした。」(『奈良美智:The Beginning Place ここから』展示解説より)
高校生のときから地元のライブハウスに出入りしていた関係で、奈良はその新しく作られるロック喫茶の店舗づくりに誘われた。もともと物づくりに長けていた奈良は内装の壁、ガラス窓、テーブル、椅子、カウンターまで作ったという。さらにシャッターに絵を描き、ステージの壁にかける大きな絵も描いた。そして、開店後は毎日のように通った。
ロック喫茶に関して、奈良本人はこう書いている。
「僕は毎週のように週末はライブハウスに通い、家から徒歩五分にあったロック喫茶には毎日通った。ロック喫茶にはターンテーブルが二台置かれているDJブースがあって、毎晩そこで選曲してプレイした。常連となっていく音楽好きの大学生たちとも仲良くなって、彼らの文学や演劇、映画談義に耳を傾けた。そして僕は自慢するように、彼らの知らない音楽の話をしたのだった。」(『ユリイカ』2017年8月臨時増刊号、総特集「奈良美智の世界」所収 奈良美智「半生(仮)」)
その大学生との交流の中で美術大学の存在を知った。何ごとも器用にこなし、絵も上手な奈良のために大学生たちはお金を出し合って、奈良の誕生日にある画集をプレゼントしてくれた。
「高校生の頃、ロック喫茶でバイトしてて、美術とかそんなに興味があったわけじゃないんだけど、落描きとかよくしてたら『奈良くん、絵がうまいし好きそうだから、これをあげるね』って先輩の大学生3人がお金出しあって、熊谷守一の画集を買ってくれたんです。誕生日プレゼントとして。」(casabrutus.com 2018年1月26日掲載「奈良美智さん、熊谷守一についてお話してください。」記事より)
それが、『現代日本美術全集18萬鉄五郎/熊谷守一』(集英社 1974年)だった。
「僕は毎週のように週末はライブハウスに通い、家から徒歩五分にあったロック喫茶には毎日通った。ロック喫茶にはターンテーブルが二台置かれているDJブースがあって、毎晩そこで選曲してプレイした。常連となっていく音楽好きの大学生たちとも仲良くなって、彼らの文学や演劇、映画談義に耳を傾けた。そして僕は自慢するように、彼らの知らない音楽の話をしたのだった。」(『ユリイカ』2017年8月臨時増刊号、総特集「奈良美智の世界」所収 奈良美智「半生(仮)」)
その大学生との交流の中で美術大学の存在を知った。何ごとも器用にこなし、絵も上手な奈良のために大学生たちはお金を出し合って、奈良の誕生日にある画集をプレゼントしてくれた。
「高校生の頃、ロック喫茶でバイトしてて、美術とかそんなに興味があったわけじゃないんだけど、落描きとかよくしてたら『奈良くん、絵がうまいし好きそうだから、これをあげるね』って先輩の大学生3人がお金出しあって、熊谷守一の画集を買ってくれたんです。誕生日プレゼントとして。」(casabrutus.com 2018年1月26日掲載「奈良美智さん、熊谷守一についてお話してください。」記事より)
それが、『現代日本美術全集18萬鉄五郎/熊谷守一』(集英社 1974年)だった。
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illustration Yoshifumi Takeda
鈴木芳雄
すずき よしお 編集者/美術ジャーナリスト。『ブルータス』副編集長時代から「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「若冲を見たか?」など美術特集を多く手がける。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』など。明治学院大学非常勤講師。
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