ART
日本初個展が開催! グラフィティ・アート界のパイオニア、エリック・ヘイズが語るクリエイティブの軌跡。
December 19, 2022 | Art, Fashion | casabrutus.com | photo_Masanori Kaneshita text_Hiroshi Egaitsu
1970年代のヒップホップ文化黎明期からグラフィティ・アートを手がけ、その後はグラフィック・デザインやファッションの分野で長きにわたり活躍してきたエリック・ヘイズ。近年は現代美術作家として精力的に活動する彼の日本初となる個展『INSIDE OUT』が、東京・渋谷の〈SAI Gallery〉で開催中。来日した本人に話を聞いた。
2020年代の世界を見渡せば、1980年代初頭に世界中に初めて知られていったニューヨークのグラフィティ運動と、そこから生まれたストリート・アートが持つ影響力の計り知れない大きさに気がつくことになる。
なかでもアーティスト/グラフィック・デザイナー/アート・ディレクターと幅広い顔を持つエリック・ヘイズの八面六臂、神出鬼没かつ領域横断的な活動が、私たちの時代の美学に決定的な影響を与えてきたというのは、大袈裟な話ではない。日本で初となる個展『INSIDE OUT』のため来日した彼に、その影響力を誇りながらもユニークな軌跡について話してもらった。
なかでもアーティスト/グラフィック・デザイナー/アート・ディレクターと幅広い顔を持つエリック・ヘイズの八面六臂、神出鬼没かつ領域横断的な活動が、私たちの時代の美学に決定的な影響を与えてきたというのは、大袈裟な話ではない。日本で初となる個展『INSIDE OUT』のため来日した彼に、その影響力を誇りながらもユニークな軌跡について話してもらった。
「幾つもの命を持っているんだ」
こう言ってのけて破顔を見せるエリック・ヘイズのキャリアは驚きに満ちている。1970年代初めのニューヨークのグラフィティ・シーンで頭角を現した彼の若き姿は、黎明期のシーンを捉えたドキュメンタリー映画『STYLE WARS』(1982)の、印象的な138丁目グランドコンコース駅の場面で今でも観ることができる。
その後、バスキアやキース・ヘリングといった仲間たちがそのキャリアの高みの最中に悲劇的に世を去っていった時代、彼はグラフィック・デザイナーとして、まだインディペンデントだった〈デフ・ジャム・レーベル〉のアーティストのロゴを次々と手がけ始め、黄金時代のヒップホップにおけるイメージを決定づけた。
その後1980年代の終わり、生粋のニューヨーカーである彼は突如LAに移住。まだ海のものとも山のものともつかなかったストリートウェアのブランドを設立した。そして”ストリート”がメジャーと化した2000年代を経て、現在彼はファイン/コンテンポラリー・アートの領域を切り拓いている。
こう言ってのけて破顔を見せるエリック・ヘイズのキャリアは驚きに満ちている。1970年代初めのニューヨークのグラフィティ・シーンで頭角を現した彼の若き姿は、黎明期のシーンを捉えたドキュメンタリー映画『STYLE WARS』(1982)の、印象的な138丁目グランドコンコース駅の場面で今でも観ることができる。
その後、バスキアやキース・ヘリングといった仲間たちがそのキャリアの高みの最中に悲劇的に世を去っていった時代、彼はグラフィック・デザイナーとして、まだインディペンデントだった〈デフ・ジャム・レーベル〉のアーティストのロゴを次々と手がけ始め、黄金時代のヒップホップにおけるイメージを決定づけた。
その後1980年代の終わり、生粋のニューヨーカーである彼は突如LAに移住。まだ海のものとも山のものともつかなかったストリートウェアのブランドを設立した。そして”ストリート”がメジャーと化した2000年代を経て、現在彼はファイン/コンテンポラリー・アートの領域を切り拓いている。
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