ART
ブリューゲルの絵もひっぱり出して、ピーター・ドイグを紹介しよう。|鈴木芳雄「本と展覧会」
April 6, 2020 | Art | casabrutus.com | photo_Manami Takahashi Keiko Nakajima(books) text_Yoshio Suzuki editor_Keiko Kusano cooperation_Yumiko Urae
描くのは目の前に広がる現実の風景ではなく、記憶の中のものや心に浮かんだ情景。だから、その絵はロマンティックで、ミステリアスだ。〈東京国立近代美術館〉で日本初の大規模個展が開催されているピーター・ドイグ。彼の絵はなぜ独特なのか、彼の絵になぜ魅了されるのか。どんな絵を参照し、どんな絵と対比されるのだろうか。
上の絵を観てほしい。不思議な絵だ。人物の服装が変。コスプレしているのか、カーニバルにでも行くのか。橋なのか、塀なのか、石垣も何なのだろう。こんなカラフルな石を積み重ねたところがあるはずはないだろう。ということは舞台のセットとか、夢の中の風景なら納得がいくかも。ともかく現実にはない世界。ファンタジーとして描かれている? そんな絵である。
日本での初個展ということで、どうやってこの画家を説明したらいいのか、主催者側もやや手こずったようだ。「現代アートのフロントランナー」(?)だとか、「ターナー賞にノミネートされた」とか、ある作品が「およそ30億円で落札された」とかの話題をまず持ってくる。あるいは、スコットランド、エディンバラの出身だけれども、トリニダード・トバゴ(南国)とカナダ(北国)で育ち、英国で学位を取っているとか。
そんな説明のあとにやっと絵の話がやってきて、それもなんとかこの画家に興味を持ってもらおうとはするのだが、歯がゆさは否めない。映画『13日の金曜日』や小津安二郎の『東京物語』に着想を得た作品があるとか、大型作品が多い、とか。
結局は「ともかく見てほしい。いま、世界の絵画ファンを虜にしている絵はこれだからさ」と言ってしまうしかないのだが、そんな乱暴なCMのような言い方もできないだろうし苦労しているのだろう。逆に言うと、それくらいある意味、正統派的な絵画であって、それで勝負していて、そして見る者を惹きつけてやまない作品なのである。
日本での初個展ということで、どうやってこの画家を説明したらいいのか、主催者側もやや手こずったようだ。「現代アートのフロントランナー」(?)だとか、「ターナー賞にノミネートされた」とか、ある作品が「およそ30億円で落札された」とかの話題をまず持ってくる。あるいは、スコットランド、エディンバラの出身だけれども、トリニダード・トバゴ(南国)とカナダ(北国)で育ち、英国で学位を取っているとか。
そんな説明のあとにやっと絵の話がやってきて、それもなんとかこの画家に興味を持ってもらおうとはするのだが、歯がゆさは否めない。映画『13日の金曜日』や小津安二郎の『東京物語』に着想を得た作品があるとか、大型作品が多い、とか。
結局は「ともかく見てほしい。いま、世界の絵画ファンを虜にしている絵はこれだからさ」と言ってしまうしかないのだが、そんな乱暴なCMのような言い方もできないだろうし苦労しているのだろう。逆に言うと、それくらいある意味、正統派的な絵画であって、それで勝負していて、そして見る者を惹きつけてやまない作品なのである。
ピーター・ドイグが日本の雑誌で紹介された早い時期のものとしては『美術手帖』1998年11月号「新しい具象|90年代のニューフィギュラティブ・ペインティング」という特集で、その中の3ページで絵が4点紹介されている。
国内での主要な展覧会に出品されるのは、2003年、森美術館(東京、六本木)の開館記念展『ハピネス:アートに見る幸福の鍵 モネ、若冲、そしてジェフ・クーンズへ』。作品が2点展示された。ひとつは今回の展覧会にも出ている《オーリンMKIV Part2》である。
『ハピネス――アートに見る幸福への鍵』図録にはこう記述されている。
「ドイグの扱う画像は決して個別的ではなく、常に一般的で、マスメディアを通じて私たちが慣れ親しんだ図像の解釈に従う。私たちは場所、雰囲気、状況などを察知するが、それは実際に体験したことがあるからではなく、映像に対する日々の飢えを癒やすために、繰り返し再現されるのを見ているせいである。」ピエール・ルイジ・タッツィ(『ハピネス――アートに見る幸福への鍵』図録/森美術館、2003年)より。
この図録の作家解説の文章、笑ってしまうくらいに翻訳が酷いのだが、原文を読んだわけではないけれど、文中「個別的ではなく」というのは、ドイグが「独自に探し当てたモティーフではなく」くらいの意味だろう。「常に一般的で」は、「ありふれているような」とか言ったほうがしっくりくるのではないか。
「ドイグの扱う画像は決して個別的ではなく、常に一般的で、マスメディアを通じて私たちが慣れ親しんだ図像の解釈に従う。私たちは場所、雰囲気、状況などを察知するが、それは実際に体験したことがあるからではなく、映像に対する日々の飢えを癒やすために、繰り返し再現されるのを見ているせいである。」ピエール・ルイジ・タッツィ(『ハピネス――アートに見る幸福への鍵』図録/森美術館、2003年)より。
この図録の作家解説の文章、笑ってしまうくらいに翻訳が酷いのだが、原文を読んだわけではないけれど、文中「個別的ではなく」というのは、ドイグが「独自に探し当てたモティーフではなく」くらいの意味だろう。「常に一般的で」は、「ありふれているような」とか言ったほうがしっくりくるのではないか。
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illustration Yoshifumi Takeda
鈴木芳雄
すずき よしお 編集者/美術ジャーナリスト。『ブルータス』副編集長時代から「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「若冲を見たか?」など美術特集を多く手がける。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』など。明治学院大学非常勤講師。
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