ARCHITECTURE
箱根に佇む予算100万円で建てられた吉村順三の“最小”作品。
『カーサ ブルータス』2024年11月号より
October 22, 2024 | Architecture | a wall newspaper | photo_Masanori Kaneshita, Masaya Kudaka(portrait) text_Sanae Sato
箱根・仙石原で朽ちかけていた吉村順三の小さな山荘。取り壊し寸前のところを、一人の建築家が救いました。
アントニン・レーモンドに師事し、モダニズムと伝統的な木造建築を融合させた建築家の吉村順三。このほど彼が手がけたわずか10坪、最小の建築が取り壊しの危機から救われた。
都内の組織設計事務所に勤める辻林舞衣子は、吉村建築を訪れ何げなくSNSに投稿した。すると、それを見たスキー仲間から「昔使っていた別荘を建てた人と同じでびっくり」という連絡が届く。驚いて詳しい話を聞くと、箱根にあるその建物は壊れて使えず20年以上誰も住んでいない状態で、売却契約間際、来月には解体されるかもしれないという状況だった。彼女は吉村の作品集を確認し、友人と同じ苗字の施主の名前が記載されている物件を確認。友人とその親族に売却を待ってもらい、箱根・仙石原にあるその建物を見せてもらうことに。
「うっそうとした薮に包まれていた建物は、わずか10坪。入口の階段は温泉の硫黄で朽ち、外壁は張り替えられてはいましたが、高床式であったことも幸いし、内部は暖炉や家具も、ほぼ当時のままでした。これはなんとしても保存しなくてはと思い、買い取りを申し出たのです」。そうして現在、この家を託されることとなった。
都内の組織設計事務所に勤める辻林舞衣子は、吉村建築を訪れ何げなくSNSに投稿した。すると、それを見たスキー仲間から「昔使っていた別荘を建てた人と同じでびっくり」という連絡が届く。驚いて詳しい話を聞くと、箱根にあるその建物は壊れて使えず20年以上誰も住んでいない状態で、売却契約間際、来月には解体されるかもしれないという状況だった。彼女は吉村の作品集を確認し、友人と同じ苗字の施主の名前が記載されている物件を確認。友人とその親族に売却を待ってもらい、箱根・仙石原にあるその建物を見せてもらうことに。
「うっそうとした薮に包まれていた建物は、わずか10坪。入口の階段は温泉の硫黄で朽ち、外壁は張り替えられてはいましたが、高床式であったことも幸いし、内部は暖炉や家具も、ほぼ当時のままでした。これはなんとしても保存しなくてはと思い、買い取りを申し出たのです」。そうして現在、この家を託されることとなった。
この家が完成したのは1969年。吉村が親族に依頼され、予算100万円に収まるように設計した彼の最小作品だということがわかった。西側には三畳の寝室とバスルーム、東側には板の間のダイニングキッチン、一段高くなった六畳間とが広がる。そこは小さいながら部屋の3方向に開かれた窓によって、緑の中に浮かんでいるような開放感がある。コストを抑えるため既製品を多く用い、ラワン材の壁や床は、サブロク板をそのまま使用。照明も端材を使って手作りされていた。
現在辻林は自身の資金を投じるほかクラウドファンディングを立ち上げ、この家を保存、修復するために奮闘中。設計図を読み解きながらオリジナルの状態へと戻す予定で、「普通の会社員でも文化財保存ができるということを世に示し、これからの建物の在り方に一石を投じたい。いずれは宿泊もできる、アートや建築の情報交換の場、文化発信の拠点にできれば」と言う。
現在辻林は自身の資金を投じるほかクラウドファンディングを立ち上げ、この家を保存、修復するために奮闘中。設計図を読み解きながらオリジナルの状態へと戻す予定で、「普通の会社員でも文化財保存ができるということを世に示し、これからの建物の在り方に一石を投じたい。いずれは宿泊もできる、アートや建築の情報交換の場、文化発信の拠点にできれば」と言う。
辻林舞衣子
つじばやしまいこ 組織設計事務所に勤める一級建築士。東京大学在学中は安藤忠雄に師事。万博のパビリオン設計などに関わる傍ら東京大学に戻り、修士課程で山荘を継承したことを機に吉村順三の研究も始めた。
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