ARCHITECTURE
磯崎新さん、プリツカー賞受賞おめでとうございます!
『カーサ ブルータス』2019年5月号より
April 19, 2019 | Architecture | a wall newspaper | photo_Takashi Homma (portrait) text_Jun Ishida
3月5日、磯崎新のプリツカー賞受賞が発表されました。遅すぎる受賞とも言われる中、当のご本人の反応は?
ついに、磯崎新がプリツカー賞を受賞した。「遅すぎる受賞」という声が上がるように、世界の建築界のゴッドファーザー的存在である磯崎の受賞は当然といえばそうであるし、なぜ今? とも思えるものだ。
1979年に設立されたプリツカー賞は今年で40年目を迎えるが、磯崎は賞の創設から関わっている。ガイドライン作成に携わり、フィリップ・ジョンソンが受賞した第1回の審査員も務めた。「何かの賞をもらうと、そこで型が確定してしまう」という磯崎は、これまで賞を受けることに積極的でなかったという。
「次に何かをしかけようとしている間はもらいたくありませんでした。自分の仕事をまとめる時期に差しかかり、世間では“翁”と呼ばれる年齢になった。審査員には僕が無名の頃から注目している建築家たちもいて、受けてもいいと考えるようになりました」
とはいえ今回の受賞を「感無量」と喜びつつ、「墓石に王冠」と茶目っけたっぷりに言うのも磯崎らしい。
1979年に設立されたプリツカー賞は今年で40年目を迎えるが、磯崎は賞の創設から関わっている。ガイドライン作成に携わり、フィリップ・ジョンソンが受賞した第1回の審査員も務めた。「何かの賞をもらうと、そこで型が確定してしまう」という磯崎は、これまで賞を受けることに積極的でなかったという。
「次に何かをしかけようとしている間はもらいたくありませんでした。自分の仕事をまとめる時期に差しかかり、世間では“翁”と呼ばれる年齢になった。審査員には僕が無名の頃から注目している建築家たちもいて、受けてもいいと考えるようになりました」
とはいえ今回の受賞を「感無量」と喜びつつ、「墓石に王冠」と茶目っけたっぷりに言うのも磯崎らしい。
磯崎は現在87歳。丹下健三のもとで建築を学び、1963年に独立してからは、変化し続ける時代の流れを捉えた建築物を打ち出してきた。レム・コールハースやザハ・ハディドなど革新的な建築家の才能をいち早く見出し、引き上げたのも彼である。
1年半ほど前に東京から沖縄へと移住したが、それは引退を意味するのではなく、現在も中東と中国で複数のプロジェクトが進行中だ。GAFAが世界経済を支配する現在を大きなパラダイムシフトの時と見なし、「20世紀のヒューマニズムの建築とは異なるノンヒューマンなものが動いている」(プリツカー賞HPより)と捉える磯崎。建築界きっての革新者は、新たな時代にふさわしい建築、そして都市のあり方を模索し続ける。
磯崎新
1931年大分県生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、丹下健三研究室で「東京計画1960」などに関わる。63年に磯崎新アトリエを設立。67年日本建築学会賞作品賞受賞。RIBAゴールドメダルなど受賞多数。著書に『空間へ』他。