杉本博司が追う、430年前の少年たちの足跡。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

杉本博司が追う、430年前の少年たちの足跡。

欧米に学び、欧米を本拠地に現代美術作家として成功した杉本博司の心を揺さぶった天正遣欧少年使節の足跡。彼らが見たヨーロッパの風景を、写真とその時代の美術品で追体験できる展覧会が〈MOA美術館〉で開催中だ。

杉本博司《リグリア海、サビオレ》1993年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
静岡県熱海市にあり、国宝を3点擁する〈MOA美術館〉は、新素材研究所(杉本博司+榊田倫之)によるリニューアルを2017年に行った。透明度の高いガラスを用い、照明にも最新技術を導入し、黒漆喰の壁によって周囲の映り込みを防ぐなど、細心の配慮による展示室が登場したのは記憶に新しい。

そのリニューアル1年を迎え、いよいよ杉本博司展が始まった。特別展『信長とクアトロ・ラガッツィ 桃山の夢と幻 + 杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ』は二部構成になっていて、天正遣欧少年使節の足跡を杉本が写真とその時代の美術品で追った展示が1フロアを使って、展開されている。
杉本博司《オリンピコ劇場、ヴィチェンツァ》2015年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
天正遣欧少年使節。1582年に九州のキリシタン大名、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマへ派遣された、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンら4名の少年と従者たちだ。これはイエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノの発案によるもので、日本とヨーロッパの出会いの始まりとされる。

彼らはローマ教皇、スペイン国王に正式に謁見した。さらに西洋の航海術がもたらされ、彼らが持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって日本語書物の活版印刷“キリシタン版”が初めて行われたなど大きな功績がある。
《天正遣欧使節肖像画》ドイツ・アウグスブルク 1586年刊 京都大学附属図書館
杉本が天正遣欧少年使節をテーマに作品づくりを行ったきっかけはライフワークの一つとして取り組んでいる「劇場」シリーズのため、イタリアのヴェネト州ヴィチェンツァにオリンピコ劇場を撮影に行った時、およそ430年前に日本から4人の少年が使節として訪れたことを知ったことだった。

ルネサンス建築の巨匠、アレサンドロ・パラディオが亡くなる1580年に設計し、1585年、オリンピコ劇場の完成まもなく、天正遣欧少年使節たちが訪れたことを記録したレリーフを示しながら、案内人は自慢を込めて杉本に語った。その時、杉本は「私たちが見たこの風景を、今一度あなたにも見てもらいたい」という声をどこからともなく聞いた気がした。
日本からの使節が来たことを記録したレリーフがオリンピコ劇場のホワイエの壁に残されている。ラテン語で“JAPONENSIVM LEGATIS”と刻まれている。 photo_Yoshio Suzuki
時代や目的、交通手段は全く異なるが、杉本自身、1970年、日本の大学を卒業後、アメリカ、カリフォルニアのアートスクールに入学した青年だった。欧米に学び、欧米を本拠地に現代美術作家として成功した杉本の心を揺さぶるものがあったのかもしれない。

天正遣欧少年使節がヨーロッパを訪れた時代といえば、日本では織田信長から豊臣秀吉に政権が代わるなど戦国武将たちの時代だった。一方、ヨーロッパではルネサンスの残り香が立ち込める時代。つまり、まだ新しい華麗なルネサンスが生んだ作品群を使節たちはイタリア各地で目にしたのだ。