ART
宇宙を目指した男の「失った夢」と「発見した夢」とは? 高松聡の初個展。
September 7, 2020 | Art, Culture | casabrutus.com | text_Housekeeper
クリエイティブ・ディレクターとして歴史に残る広告を作ってきた高松聡さん。2015年に広告業界を引退後、夢だった宇宙飛行士になるべく、ロシアで過酷な訓練を終了していました。しかし、それは予想外のトラブルで叶わぬ夢に……。そんな彼の初となる個展『FAILURE』が、〈SPACE FILMS GALLERY〉にて開催中です。
電通にて、日清カップヌードルCM「NO BORDER」「FREEDOM」シリーズをはじめ、常識を覆すユニークな広告を手がけたことで知られる高松聡。2015年より、日本の民間人初となるISS搭乗資格を持つ宇宙飛行士となるべく、ロシア「星の街」での宇宙飛行士訓練を終了した。訓練中に撮影した写真などを展示する初の個展を、9月4日より〈SPACE FILMS GALLERY〉にて開催している。
展示では、あのユーリイ・ガガーリンも過ごしたロシアの訓練施設「星の街」の風景を中心に、ガガーリンが亡くなった事故の際に実際に乗っていたジェット機や、ソ連時代から残る建物、そして道端に咲く花などの写真を展示。さらに高松が訓練で使用した宇宙服をガラスケースに入れて展示し、棺桶に見立てて「宇宙飛行士としての死」を表現する作品も展示する。
高松にとって宇宙は幼い頃からの「人生をかけた夢」だったという。広告界では世界で初めて宇宙空間でのCM撮影を実現したクリエイティブ・ディレクターとして、伝説とも言える功績を残した。その後先述の「NO BORDER」「FREEDOM」など宇宙をテーマにしたCMを3回制作。その全ての舞台となったのが、国際宇宙ステーションの「ロシアモジュール」だ。
撮影を通してロシア宇宙庁と関係を深めていく中、ある転機が訪れる。英国歌手サラ・ブライトマンのバックアップクルーとして8ヶ月間、800時間の訓練に入ることが決まったのだ。民間人では日本初となるISS滞在を目指した宇宙飛行士訓練を、ロシア「星の街」で受けることに。「星の街」とは、あのガガーリンも訓練していたソ連時代からの巨大な施設だ。2015年1月から9月まで続く訓練が無事終了すれば、バックアップクルーとして認定され、念願の宇宙飛行士に認定される予定だった。しかし……。
なんとサラが突然訓練を辞退。この前例のないアクシデントにより、高松はバックアップする相手を失い、正式なクルーではなくなった。それでも高松は挫けず最後まで訓練を続け、全ての試験を好成績で合格し、卒業式を迎えたものの宇宙飛行士として認定されることはなかった。
展示では、あのユーリイ・ガガーリンも過ごしたロシアの訓練施設「星の街」の風景を中心に、ガガーリンが亡くなった事故の際に実際に乗っていたジェット機や、ソ連時代から残る建物、そして道端に咲く花などの写真を展示。さらに高松が訓練で使用した宇宙服をガラスケースに入れて展示し、棺桶に見立てて「宇宙飛行士としての死」を表現する作品も展示する。
高松にとって宇宙は幼い頃からの「人生をかけた夢」だったという。広告界では世界で初めて宇宙空間でのCM撮影を実現したクリエイティブ・ディレクターとして、伝説とも言える功績を残した。その後先述の「NO BORDER」「FREEDOM」など宇宙をテーマにしたCMを3回制作。その全ての舞台となったのが、国際宇宙ステーションの「ロシアモジュール」だ。
撮影を通してロシア宇宙庁と関係を深めていく中、ある転機が訪れる。英国歌手サラ・ブライトマンのバックアップクルーとして8ヶ月間、800時間の訓練に入ることが決まったのだ。民間人では日本初となるISS滞在を目指した宇宙飛行士訓練を、ロシア「星の街」で受けることに。「星の街」とは、あのガガーリンも訓練していたソ連時代からの巨大な施設だ。2015年1月から9月まで続く訓練が無事終了すれば、バックアップクルーとして認定され、念願の宇宙飛行士に認定される予定だった。しかし……。
なんとサラが突然訓練を辞退。この前例のないアクシデントにより、高松はバックアップする相手を失い、正式なクルーではなくなった。それでも高松は挫けず最後まで訓練を続け、全ての試験を好成績で合格し、卒業式を迎えたものの宇宙飛行士として認定されることはなかった。
人生最大の夢に想定外のアクシデントで失敗し、普通なら心が折れるところ。だが高松は違った。小学6年から好きだったというカメラを手に、「星の街」の撮影にのめり込んでいったのだ。その数、なんと1万枚以上。「星の街で毎日写真を撮るうちに、写真家としての自分に目覚めていった」という高松。
この一連の出来事の詳細は、秘密保持などの関係で、親しい人にさえ今日まで公表できなかったそう。今回の個展を開いた理由について高松は、「自分が夢を失ったことを告白するとともに、“次は写真家として宇宙に行く”という新たな夢を知ってもらうために開くに至った」と語る。
宇宙がそれほどまでに高松を惹きつける理由とは、一体何なのだろうか?
「宇宙から地球を見ることを想像してみてください。日没と日の出が一日にそれぞれ15回ずつ、計30回訪れるんです。人生観が変わらないわけがないですよね。地球をその目で見たら、多分ほとんどの人が戦争なんてありえないって思うだろうし、緑を守らなきゃ、って思うに違いありません」
この一連の出来事の詳細は、秘密保持などの関係で、親しい人にさえ今日まで公表できなかったそう。今回の個展を開いた理由について高松は、「自分が夢を失ったことを告白するとともに、“次は写真家として宇宙に行く”という新たな夢を知ってもらうために開くに至った」と語る。
宇宙がそれほどまでに高松を惹きつける理由とは、一体何なのだろうか?
「宇宙から地球を見ることを想像してみてください。日没と日の出が一日にそれぞれ15回ずつ、計30回訪れるんです。人生観が変わらないわけがないですよね。地球をその目で見たら、多分ほとんどの人が戦争なんてありえないって思うだろうし、緑を守らなきゃ、って思うに違いありません」
高松聡
たかまつ さとし 1963年生まれ。栃木県宇都宮市出身。筑波大学基礎工学類卒業。電通にて2001年、世界初の宇宙ロケCMを大塚製薬ポカリスエットで実現。日清カップヌードル「NO BODER」「FREEDOM」キャンペーンなど。2005年電通を退社し、クリエイティブ・エージェンシーGROUNDを設立。2015年より日本の民間人として初のISS搭乗資格を持つ宇宙飛行士となるべく、ロシア「星の街」での宇宙飛行士訓練を終了。
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