杉本博司さん。仏が住むという浄土とはどんなところでしょうか? | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

杉本博司さん。仏が住むという浄土とはどんなところでしょうか?

生まれ変わった〈京都市京セラ美術館〉はその最初の展示で、この世の(終わった)先にあるものを表現する場になる。杉本博司はこれまでも「時間の終わり」「今日、世界は死んだ」というタイトルで、終末観を展開してきたが、今回、京都・岡崎に建つ〈京都市京セラ美術館〉の新館・東山キューブを寺社に見立て、だれも未だ見ぬ浄土を出現させる。宗教、科学、芸術。京都だからこそ杉本が表現できたこととは?

本展初公開となる「OPTICKS」。以下、すべて『杉本博司 瑠璃の浄土』展示風景。 © Hiroshi Sugimoto
「OPTICKS」展示風景。
前身は昭和天皇即位を記念した〈大礼記念京都美術館〉。終戦後、駐留軍に接収されていたが、1952年、〈京都市美術館〉となった。この建物が今年、青木淳、西澤徹夫の共同設計によって大規模な改修と増築を行った。この機にネーミングライツを導入し、通称〈京都市京セラ美術館〉としてリニューアルオープンとなる。

生まれ変わる美術館での1回目の展覧会のひとつが『杉本博司 瑠璃の浄土』である。本館の改修と同時に建てられた「東山キューブ」と呼ばれる新築の建物での展示となる。
「光学硝子五輪塔」展示風景。
京都、しかも岡崎に建つこの美術館での展示をオファーされたとき、杉本は頭の中で、いくつもの“縁”についてあらためて思い巡らせ、即座に構想の枠組みが出来上がったに違いない。かつて古美術商として活動し、現在も古美術の蒐集家ではある杉本にとって平安期の末法思想につながる美術品は興味の尽きないテーマである。これまでの彼の創作活動もその影響に基づいているところが大きい。

岡崎といえば、平安時代、白河院(1053-1129)が院政を敷いていた地だ。時は末法の時代。末法とは仏教において、釈迦の入滅後、仏の教えが廃れ、教法だけが残る暗黒の一万年をいう。白河院は、実の孫である鳥羽院(1103-1156)の后の待賢門院璋子(1101-1145)との間に子をなし、それが崇徳院(1119-1164)だと言われる。鳥羽院の実子である後白河院(1127-1192)によって、この異父兄、崇徳院は讃岐の直島に流されてしまった。

直島には杉本も縁がある。〈ベネッセアートサイト直島〉に多くの作品が収蔵されているし、この地にある護王神社を再建した経緯があるからだ。2002年に行われた、崇徳院の御在所跡の近くに建つ護王神社の再建は、杉本の実質的な建築作品第一号で《Appropriate Proportion(アプロプリエイト プロポーション)》と名付けられている。社(やしろ)の地下には石室を設けていて、地上と地下を光学ガラスの階(きざはし)が結ぶ。石室に入り、出口に向かうとき、四角く切り取られた空と海が見える。これはまさに杉本の代表作のひとつ「海景」のリアル版である。
《護王神社模型:アプロプリエート・プロポーション》2003年、小田原文化財団蔵。
展覧会には直島の護王神社の模型が展示され、模型の地下隧道(実物では隧道は直角に折れるが模型では直線)を覗くと、その先に海景が見える。この海景はシリーズ初期の作品で、日本海、隠岐の海。そう、後白河院の孫にあたる後鳥羽院(1180-1239)が承久の乱で破れ、1221年に配流される隠岐の島から見た海。それを撮影したものである。
《護王神社模型:アプロプリエート・プロポーション》(左)と海景《日本海、隠岐》。

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