東京国立近代美術館で『窓展』が開催中! | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

東京国立近代美術館で『窓展』が開催中!

窓に焦点を当て、そこにかかわる多様な作品を一堂に集めた異例の展覧会『窓展:窓をめぐるアートと建築の旅』が、〈東京国立近代美術館〉で始まりました。

ピンホール・カメラの手法を用い、暗くした自宅の窓から映し出した外の光景を焼きつけた山中信夫の《ピンホール・ルーム 1─3》。
山中へのオマージュであるホンマタカシの《Camera obscura - thirty six views of mount fuji》。東京都内で富士山の見える場所を探して部屋を変えながら、ピンホール・カメラによって撮影している。
ピンホール・カメラの手法を用い、暗くした自宅の窓から映し出した外の光景を焼きつけた山中信夫の《ピンホール・ルーム 1─3》。
山中へのオマージュであるホンマタカシの《Camera obscura - thirty six views of mount fuji》。東京都内で富士山の見える場所を探して部屋を変えながら、ピンホール・カメラによって撮影している。
一般財団法人 窓研究所と東京国立近代美術館がタッグを組んで実現した、今回の『窓展:窓をめぐるアートと建築の旅』。窓研究所が主宰する「窓学」が続けてきた10年を超える研究の蓄積を基に、その総合監修を務める建築史・建築批評家の五十嵐太郎による学術協力と、東京国立近代美術館のキュレーションにより、ジャンルを横断した多様な視点で美術と建築の世界を広げている。

国内外の芸術・建築分野から収集され、厳選された窓にまつわる作品は、総勢58名による117点。14章にわたって、窓とアートを巡るテーマが展開される。
ゲルハルト・リヒター《8枚のガラス》。さまざまな角度に傾けられたガラスが、周囲のさまざまな像を映し出し、複雑に反射させる。 2012年 ガラス、スチール構造物 ワコウ・ワークス・オブ・アート
ローマン・シグネール《よろい戸》。3台の扇風機が交互に作動し、木製の窓を開閉する作品。目的を持たない純粋な運動が繰り返され、窓の機能を視覚化する。 2012年 木造構造物、3台の扇風機 作家蔵

左からナム・ジュン・パイクとジョン・ゴドフリー《グローバル・グルーヴ》、久保田成子《メタ・マルセル:窓》、ロバート・ラウシェンバーグ《スリング ショット リット #5》。ロバート・ラウシェンバーグの作品は、コンピュータのモニタで複数のウィンドウが同時に並ぶ感覚を先取りしたかのようだ。
ゲルハルト・リヒター《8枚のガラス》。さまざまな角度に傾けられたガラスが、周囲のさまざまな像を映し出し、複雑に反射させる。 2012年 ガラス、スチール構造物 ワコウ・ワークス・オブ・アート
ローマン・シグネール《よろい戸》。3台の扇風機が交互に作動し、木製の窓を開閉する作品。目的を持たない純粋な運動が繰り返され、窓の機能を視覚化する。 2012年 木造構造物、3台の扇風機 作家蔵
左からナム・ジュン・パイクとジョン・ゴドフリー《グローバル・グルーヴ》、久保田成子《メタ・マルセル:窓》、ロバート・ラウシェンバーグ《スリング ショット リット #5》。ロバート・ラウシェンバーグの作品は、コンピュータのモニタで複数のウィンドウが同時に並ぶ感覚を先取りしたかのようだ。
会場に入って最初にある「窓の世界」は、全体の内容を感じさせるイントロダクション。冒頭で繰り返される喜劇俳優バスター・キートンの映像は、私たちが普段窓に抱いているイメージを崩し、頭を柔らかくしてくれる。

窓の役割とは? 窓とアートの関係とは? ヨーロッパでは「絵画は窓と親戚関係にある」と約600年前から言われていたという。四角い枠に沿って身の回りを切り取り、新たな世界を見せるという点で共通し、それゆえに窓にインスピレーションを受けた作品が数多く誕生している。
学術協力として本展覧会に関わった、東北大学教授の五十嵐太郎。「窓学」の総合監修も長年にわたって務めている。本展のために用意された年表をバックに。
そんな建築とアートの関係を一気に把握できるのが、続くテーマの「窓からながめる建築とアート」だ。細長い空間の壁に沿って掲げられているのは、12mにわたる長い年表だ。古代から人類の歩みと共にする建築と窓に関連する技術の歴史、そしてアートとの関係が時間軸を通して詳細に示されている。

建築の欄では洋の東西を問わず革新的な特徴ある窓が写真とともに紹介され、縦に辿ると窓の技術と共に窓にまつわるアートを把握できる。フェルメールの《牛乳を注ぐ女》が、ガラス窓の普及とどのように関係があるのか? 第1回万国博覧会で建てられた〈クリスタル・パレス〉以降、アートはどのように変容したのか? 相互の関係性を見比べながら想像するだけで、時間はあっという間に過ぎてしまう。