ARCHITECTURE
明治の邸宅と庭園を見に、大磯へ。
October 21, 2018 | Architecture, Travel | casabrutus.com | text_Naoko Aono editor_Keiko Kusano
明治の政治家たちの別荘や邸宅が建ち並ぶ神奈川県大磯町。当時の一流の大工たちが腕を振るった邸宅と庭園を見学できます。洋風あり、和風ありとバラエティに富んだ明治の建築を堪能しましょう。
神奈川県大磯町には伊藤博文や大隈重信ら、明治期の立憲政治の確立に重要な役割を果たした政治家たちの邸宅が集中している。10月23日から12月24日まで一部が公開され、建物の外観を見学することができる。
今回、外観が公開されるのは〈旧大隈重信邸〉〈旧陸奥宗光邸〉〈滄浪閣〉(そうろうかく、旧伊藤博文邸)の3つ。合わせて〈旧陸奥宗光邸〉の庭園なども見学できる。大磯には1885(明治18)年に海水浴場が開設され、鉄道や大磯駅も整備されたため、別荘地として人気となった。今回公開される3名のほかにも当時、山縣有朋や西園寺公望、原敬らが別荘や邸宅を建設した。
〈滄浪閣〉は伊藤博文が別荘として建てたもの。日本間と3つの洋間がある、モダンな建築だ。関東大震災で倒壊したがすぐに再建され、戦後は大型ホテルの別館として使われていたこともある。
今回、外観が公開されるのは〈旧大隈重信邸〉〈旧陸奥宗光邸〉〈滄浪閣〉(そうろうかく、旧伊藤博文邸)の3つ。合わせて〈旧陸奥宗光邸〉の庭園なども見学できる。大磯には1885(明治18)年に海水浴場が開設され、鉄道や大磯駅も整備されたため、別荘地として人気となった。今回公開される3名のほかにも当時、山縣有朋や西園寺公望、原敬らが別荘や邸宅を建設した。
〈滄浪閣〉は伊藤博文が別荘として建てたもの。日本間と3つの洋間がある、モダンな建築だ。関東大震災で倒壊したがすぐに再建され、戦後は大型ホテルの別館として使われていたこともある。
早稲田大学の創設者である大隈重信の別荘は、1897(明治30)年に竣工した木造の平屋建て。26帖の二間続きの大広間は書院風。「富士の間」と呼ばれ、大隈はここでよく宴会を開いていたという。神代杉をふんだんに使った部屋は「神代の間」と呼ばれ、書斎として使われていた。
不平等条約を改正した陸奥宗光は1894(明治27)年、多忙な外交の業務で痛めた身体を休めるために別荘を建築。現在残っている入母屋の数寄屋風の建物は関東大震災で被災し、以前の面影を残して建て直されたものだ。浴室には建設当初からシャワーが備え付けられていたという。
不平等条約を改正した陸奥宗光は1894(明治27)年、多忙な外交の業務で痛めた身体を休めるために別荘を建築。現在残っている入母屋の数寄屋風の建物は関東大震災で被災し、以前の面影を残して建て直されたものだ。浴室には建設当初からシャワーが備え付けられていたという。
現在、これらの建物は個人や企業の所有となっており、通常は見学できない。「明治記念大磯邸園」では整備を進め、「政界の奥座敷」と呼ばれた大磯の邸宅と庭園を楽しめるようにする。歴史の表舞台を担った人々の憩いの場を追体験してみたい。
明治記念大磯邸園 明治150年記念公開
〈明治記念大磯邸園〉神奈川県中郡大磯町西小磯85ほか。10月23日〜12月24日。9時〜16時30分、水曜休(10月24日は開園)。入園無料。
「庭園観覧」は屋外の公開エリアにつき会期中は自由に観覧可能。「邸宅観覧」は事前予約が必要で、ガイドツアー形式にて観覧可能。詳細は公式サイトにてご確認を。