岡本太郎を軸に、日本の戦後建築史を巡る。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS facebook line twitter

岡本太郎を軸に、日本の戦後建築史を巡る。

坂倉準三、丹下健三、磯崎新ら戦後日本を代表する建築家たち。同じく戦後日本の前衛芸術界を代表する岡本太郎。建築家たちと密に仕事をし、自らも建築や都市計画を手がけた太郎を軸に建築史を見る展覧会が〈川崎市岡本太郎美術館〉で行われています。これまでと違う岡本太郎の顔が現れます。

1970年の大阪万博「お祭り広場」の大屋根から顔を出す《太陽の塔》の模型。
《太陽の塔》を始め、各地にモニュメントや壁画を残した岡本太郎。椅子など家具も作っていた。その背後にあった建築家たちとの関わりを探るこの展覧会、建築界でも知られていなかった新発見があって面白い。

太郎と建築家との関わりは戦前にパリで会った坂倉準三が始まりだろうと思われる。坂倉は1929年に渡仏、ル・コルビュジエのもとで働いていた。太郎も同じ1929年にパリに渡り、シュルレアリスムの画家たちと交流、マルセル・モースに民族学を学ぶ。会場には1930年代にパリで撮られた彼らのツーショット写真が展示されている。
モザイクタイル作品《明日の神話》(1952年)。「第4回読売アンデパンダン」展に出品され、これを見た坂倉準三が岡本太郎に壁画を依頼することになった。
戦後、日本で太郎と再会した坂倉は1952年、日本橋髙島屋の地下通路にモザイク壁画を依頼する。これが太郎と建築家の初のコラボレーションとなった。1954年に竣工した太郎の自邸(現〈岡本太郎記念館〉)も坂倉の設計。特徴的な凸レンズ型の屋根は、坂倉の下で設計を担当した村田豊による空気膜構造のものだ。

太郎はこの頃から坂倉らが顧問を務めた「国際デザインコミッティー」に参加したり、「アートクラブ」を結成するなどしてデザイナーやアーティスト、建築家たちとの交流を深める。この会合を通じて、丹下健三とはたびたび顔を合わせていた。