吉田実香のNY通信|60年代の名建築、フォード財団ビルが待望のリ・オープン。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

吉田実香のNY通信|60年代の名建築、フォード財団ビルが待望のリ・オープン。

マンハッタンのど真ん中にひそむ、緑あふれる屋内ガーデンをご存じですか? 巨匠ケヴィン・ローチの名作オフィスビルが大改修を遂げ、いま話題となっています。

改築が完了した〈フォード財団ビル〉。オフィスビルに包み込まれた吹き抜けに、緑の空間が広がる。オリジナルの姿に忠実だ。 photo_ Simon Luethi / Ford Foundation
建築家ケヴィン・ローチが惜しまれつつこの世を去ったのは、さる3月1日のこと。96才の大往生である。ローチはエーロ・サーリネンの元で働き、サーリネンが1961年に51才で逝去したのち〈TWAターミナル〉や〈CBS本社ビル〉など彼の遺した大プロジェクトを完成させた人物だ。ジョン・ディンケルーと共に建築事務所を設立したのが1966年。その2年後に完成したのが〈フォード財団ビル〉である。

コの字型をしたオフィスビルが巨大なアトリウムを囲み、樹木の生い茂るボタニカルガーデンが広がる〈フォード財団ビル〉。国連も目と鼻の先、マンハッタンの中心地にこれほど穏やかな空間が半世紀ものあいだ保たれていたとは、なんと贅沢な……! 

1968年の竣工当時、緑の空間をアトリウムが包み込む建物としてはマンハッタン初。また一般市民に開かれた半屋外パブリックスペースを設けた企業オフィスとしても、同ビルは先駆者であった。雨水を貯めて植物への水やりに再利用したり、天窓から自然光を取り入れて照明の省エネを図るなど、グリーン・アーキテクチャーの走りでもある。今では当たり前に普及している環境志向も、この時代には型破りな発想だったというから驚かされる。
ガラス窓の外にはチューダー・シティ・グリーンズ公園が。1階のガーデンと一体化するようだ。 photo_ Simon Luethi / Ford Foundation
〈フォード財団ビル〉は、ニューヨーカーの間では知る人ぞ知る「あまり人には教えたくない」ミッドタウンの隠れオアシスであり、建築好きなら一度は訪れたことのあるランドマークだ。実は2年に及ぶ大規模な改修工事が先ごろ完了したばかり。建物はもちろん、ガーデンも根本から作り直した。改修を手がけたのは建築設計事務所〈ゲンスラー〉。元々のスピリットはそのままに、最先端の技術で現代のニーズにキメ細かく応えてみせた。

〈フォード財団ビル〉の存在をこれまで知らなかったニューヨーカーも、改修以前に訪れた事のある建築ファンも、口をそろえて新生〈フォード財団ビル〉を絶賛する。一体どこが変わり、何がそのまま保たれているんだろう?

ガラス扉を開け、アトリウムに足を踏み入れる。ビルもガーデンも、姿かたちは以前と変わらないように見えるが、丁寧に刷新されている。たとえば植栽。竣工当初はマグノリアなど、このあたりでよく見かける樹木が植えられていた。隣接する公園、ひいては地元コミュニティとのつながりを本来意図したものの、年月と共に木は枯れてしまった。その後は適当な植物が代わりに入れられ、植物育成用ランプも切れたまま放置という、なんとも残念な状態にあった。

その植生がこのたび一新した。手がけたのはその名もレイモンド・ジャングルズというマイアミ拠点のランドスケープ・アーキテクト。彼はオリジナルを手がけたダン・カイリーの元で同ガーデン制作に携わった人物に、みっちり取材することから始めたそうだ。そしてブルックリン植物園などを手がける地元NYのランドスケープ・デザイン事務所と協働の上、屋内環境に適応する植物を駆使し、カイリーが本来目指した姿を生み出した。

マグノリアの代わりに、ファイカスの木を。これなら屋内で育ちやすいし、マグノリアのように木蔭を作ってくれる。高さ20メートルまで育つはずが無残にも枯れてしまったユーカリに代わって、オリーブの一種を。ここの環境に順応しやすい上、ユーカリ同様小さい葉が無数にチラチラとそよぐので、1968年に願ったイメージが実現できる。行き届いた管理のもと、いまや計39種類もの植物が豊かな緑空間を作り出している。以前は人々が放り投げるコインで底が見えなかった池も、美しく整えられた。水循環システムから伝わる水流の音は、自然のせせらぎのように外界の喧噪をソフトに和らげてくれる。
ゆらぐ木漏れ日に、小さな池。摩天楼のど真ん中とは信じがたい静寂だ。 photo_ Simon Luethi / Ford Foundation
アトリウムから20階建てのビルを見上げてみよう。三方にそびえるオフィスビルは峡谷のようだ。はるか頭上の天窓を通じ、空が見える。ローチが作りだしたのは、窓の外を眺めるだけで他の人々の様子が手に取るようにわかる、オープンな職環境だった。

というのも1960年代のアメリカでは、オフィスといえば壁に囲まれた殺風景な個室で仕切られており、窓があっても見えるのは向かいのビルくらい。他の人々がどんな仕事をしているのか、どうもわからない。ましてやお偉いさんの姿など、めったに拝むことすらない。労働とはガマン比べ、職場とは一刻も早くそこから出たい場所。そんな当時のアメリカに〈フォード財団ビル〉がもたらした衝撃は、人を生き生きとさせるオープンスペースな職場が当たり前の今に生きる私たちには、想像することさえ難しい。
 
窓からあたりを見回すと、会議中の人々だとか、クライアントを説得する者、ガーデンを散歩する近所の人や旅行者など、さまざまな営みが目に写る。かつてなく抜けのよい職スペースは、財団と従業員の関わりはもちろん、従業員とコミュニティの人々、そして来訪者つまり「外部」と財団とのつながり方にも大きな目覚めをもたらした。

ちなみに長年に渡り上のフロアにあった社長室は、このたびのリノベでオープンな会議室へと変身。社長は下の階へ移り、ほかのエグゼクティブと部屋が隣り合わせというのも今っぽい。