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甲斐みのりがめぐる、岡山・倉敷市のアートな名建築。
Okayama Short Trip
| Travel, Architecture, Art | PR | photo_Kunihiro Fukumori text_Minori Kai
著名建築家が手がけた近現代建築が数多く残る岡山・倉敷市。「倉敷美観地区」周辺の歩いて回れる名建築へ、文筆家・甲斐みのりさんが半日さんぽに出かけました。
●日本初、西洋美術中心の私立美術館。
文化が薫る美しいまち・倉敷で物語が詰まった近代建築めぐり。
400年前までは、辺り一帯、海だったという岡山県倉敷市の平野部。江戸時代には干拓により海が陸地へと変わり、そこで暮らす人々は塩分を含む土壌でも育てやすい綿や“い草”を栽培した。それらを原料に足袋や花むしろなどの織物が生産されたことで繊維産業が栄え、今では繊維製品の年間出荷額日本一を誇る「繊維のまち」に。
同時に倉敷といえば、白壁土蔵のなまこ壁や格子窓の商家が軒を連ね、風情ある景色を織りなす「倉敷美観地区」がまちのシンボル。そんな綿花産業の富を象徴する江戸期の町並みを整備し、自ら築いた西洋建築と調和する文化都市へと発展させたのが、倉敷の紡績産業を牽引した実業家・大原孫三郎と、その長男・大原總一郎である。
400年前までは、辺り一帯、海だったという岡山県倉敷市の平野部。江戸時代には干拓により海が陸地へと変わり、そこで暮らす人々は塩分を含む土壌でも育てやすい綿や“い草”を栽培した。それらを原料に足袋や花むしろなどの織物が生産されたことで繊維産業が栄え、今では繊維製品の年間出荷額日本一を誇る「繊維のまち」に。
同時に倉敷といえば、白壁土蔵のなまこ壁や格子窓の商家が軒を連ね、風情ある景色を織りなす「倉敷美観地区」がまちのシンボル。そんな綿花産業の富を象徴する江戸期の町並みを整備し、自ら築いた西洋建築と調和する文化都市へと発展させたのが、倉敷の紡績産業を牽引した実業家・大原孫三郎と、その長男・大原總一郎である。
明治以降に日本有数の紡績会社に成長した倉敷紡績の社長を務め、社会貢献や民藝運動の支援を行い、文化芸術への理解や造詣が深いことでも知られた孫三郎。「日本人に本物の名画を」という画家・児島虎次郎の願いに賛同し、1930年に日本最初の西洋美術中心の美術館〈大原美術館〉を創設している。古代ギリシャ・ローマ神殿風の美術館本館を設計したのは薬師寺主計。
〈大原美術館〉
敷地内の工芸・東洋館は、染色家・芹沢銈介が内外装を手がけた。●岡山県倉敷市中央1-1-15 TEL 086 422 0005。9時~17時(要確認)。月曜休。入館料1,500円。https://www.ohara.or.jp
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