CULTURE
中谷宇吉郎の名言「雪の結晶は、天から送られた手紙である」【本と名言365】
July 22, 2024 | Culture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Keiko Kamijo illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。空からひらひらと舞い落ちる雪。その1枚1枚は決して同じ形がないと言われる、雪の結晶3000枚を顕微鏡撮影し、その形と生成条件を突き止め、世界初の人工雪の結晶を作ることに成功した中谷宇吉郎。彼が語ったロマンチックな言葉。
雪の研究者、中谷宇吉郎。雪の研究に従事し、世界で初めて人工雪をつくることに成功した人物だ。人工霧の作品で有名なアーティスト中谷不二子の父として、高野文子の漫画『ドミトリーともきんす』のナカヤくんとして出会った人もいるかもしれない。
中谷は東京大学在学中に寺田寅彦に師事し、理論物理学から実験物理学に進路を変更した。そして、卒業後は理化学研究所で寺田の助手となり火花の研究に従事。その後、ロンドン大学キングスカレッジに留学し、1932年に北海道大学の教授となったきっかけで雪の研究を始めることになる。
雪の研究を始めたきっかけは、札幌に移りに住んだからという理由の他にもうひとつ、一人のアマチュア写真家の存在があった。アメリカの写真家「スノーフレーク・ベントレー」という愛称で知られたウィルソン・ベントレーだ。彼は、独学で写真を学び、蛇腹つきのカメラに顕微鏡を取り付けて、生涯で5000枚もの雪の結晶写真を残した。そして1931年に2400枚もの写真を収めた写真集『Snow Crystals』を出版。中谷はこの写真集について「その中から湧いて来る自然の工(たくみ)の持つ一つの雰囲気は私に強い感動を与えた」「この写真帳の出現は、私の前から心がけながら延び延びになっていた日本における雪の研究に着手しようという企てに対して引き金の役をつとめてくれた」と述べている。そして、中谷はまずは大学の廊下の片隅に実験台を置き、顕微鏡での雪の結晶撮影に挑み始めたのだ。しかし、撮影はそう簡単には進まない。その後、場所を十勝岳の中腹にある山林監視ようの白銀荘に移し撮影を試みた。この時の中谷の雪の描写が美しい。
底なしの暗い空の奥から、数知れぬ白い粉が後から後からと無限に続いて落ちて来る。それが大体きまった大きさの螺旋形を描きながら舞って来るのである。そして大部分のものはキラキラと電燈の光に輝いて、結晶面の完全な発達を知らせてくれるのである。(中略)何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、身体が静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きて来る。
そして、札幌と十勝で合わせて974回の観測で、3000枚余りの写真を撮影し、その雪の結晶の形を分類するという大仕事を成し遂げた。その後、結晶がその形になるための条件を様々な実験で導き出し、人工雪を作る研究へと続いていくのである。
雪は高層において、まず中心部が出来それが地表まで降って来る間、各層においてそれぞれ異る生長をして、複雑な形になって、地表へと達すると考えねばならない。雪の結晶形および模様が如何なる条件で出来たかということがわかれば、結晶の顕微鏡写真を見れば、上層から地表までの待機の構造を知ることが出来るはずである。そのためには雪の結晶を人工的に作って見て、天然に見られる雪の全種類を作ることが出来れば、その実験室内の測定値から、今度は逆にその形の雪が降った時の上層の気象の状態を類推することが出来るはずである。
という言葉に続けて述べられた。
このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。
「雪」という非常に身近で美しいものだが、北国の人にとっては非常に難儀でともすると災害とも関連するもの。そんな自然現象の正体をつきとめるべく尽力し、さらには美しい文体で一般の人にも雪という現象について筆を尽くした中谷宇吉郎。彼が生を受けた石川県には〈中谷宇吉郎 雪の科学館〉という施設もあり、中谷の仕事を一望することができる。
中谷は東京大学在学中に寺田寅彦に師事し、理論物理学から実験物理学に進路を変更した。そして、卒業後は理化学研究所で寺田の助手となり火花の研究に従事。その後、ロンドン大学キングスカレッジに留学し、1932年に北海道大学の教授となったきっかけで雪の研究を始めることになる。
雪の研究を始めたきっかけは、札幌に移りに住んだからという理由の他にもうひとつ、一人のアマチュア写真家の存在があった。アメリカの写真家「スノーフレーク・ベントレー」という愛称で知られたウィルソン・ベントレーだ。彼は、独学で写真を学び、蛇腹つきのカメラに顕微鏡を取り付けて、生涯で5000枚もの雪の結晶写真を残した。そして1931年に2400枚もの写真を収めた写真集『Snow Crystals』を出版。中谷はこの写真集について「その中から湧いて来る自然の工(たくみ)の持つ一つの雰囲気は私に強い感動を与えた」「この写真帳の出現は、私の前から心がけながら延び延びになっていた日本における雪の研究に着手しようという企てに対して引き金の役をつとめてくれた」と述べている。そして、中谷はまずは大学の廊下の片隅に実験台を置き、顕微鏡での雪の結晶撮影に挑み始めたのだ。しかし、撮影はそう簡単には進まない。その後、場所を十勝岳の中腹にある山林監視ようの白銀荘に移し撮影を試みた。この時の中谷の雪の描写が美しい。
底なしの暗い空の奥から、数知れぬ白い粉が後から後からと無限に続いて落ちて来る。それが大体きまった大きさの螺旋形を描きながら舞って来るのである。そして大部分のものはキラキラと電燈の光に輝いて、結晶面の完全な発達を知らせてくれるのである。(中略)何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、身体が静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きて来る。
そして、札幌と十勝で合わせて974回の観測で、3000枚余りの写真を撮影し、その雪の結晶の形を分類するという大仕事を成し遂げた。その後、結晶がその形になるための条件を様々な実験で導き出し、人工雪を作る研究へと続いていくのである。
雪は高層において、まず中心部が出来それが地表まで降って来る間、各層においてそれぞれ異る生長をして、複雑な形になって、地表へと達すると考えねばならない。雪の結晶形および模様が如何なる条件で出来たかということがわかれば、結晶の顕微鏡写真を見れば、上層から地表までの待機の構造を知ることが出来るはずである。そのためには雪の結晶を人工的に作って見て、天然に見られる雪の全種類を作ることが出来れば、その実験室内の測定値から、今度は逆にその形の雪が降った時の上層の気象の状態を類推することが出来るはずである。
という言葉に続けて述べられた。
このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。
「雪」という非常に身近で美しいものだが、北国の人にとっては非常に難儀でともすると災害とも関連するもの。そんな自然現象の正体をつきとめるべく尽力し、さらには美しい文体で一般の人にも雪という現象について筆を尽くした中谷宇吉郎。彼が生を受けた石川県には〈中谷宇吉郎 雪の科学館〉という施設もあり、中谷の仕事を一望することができる。
Loading...