CULTURE
エドワード・ゴーリーの名言「わたしは日常生活について描いている。」【本と名言365】
June 26, 2024 | Culture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Kentaro Wada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。モノトーンの繊細な描写と不条理な世界観で、世界中にカルト的なファンを持つ絵本作家、エドワード・ゴーリー。文学、舞台、映画、テレビドラマとあらゆる文化に精通し、「博覧狂気」とも称されるゴーリーが追い求めたのは、美しくも残酷な生の世界だった。
わたしは日常生活について描いている。
絵本とは夢と希望にあふれ、どんな苦難が待ち受けていたとしても、最後は幸せな結末を迎えるもの。エドワード・ゴーリーが描く絵本に、そんな価値観は微塵たりとも通用しない。『ギャシュリークラムのちびっ子たち』では、AからZまでの頭文字を持つ子どもたちが順に無惨な死を遂げ、『不幸な子供』は天涯孤独となった少女が最期まで救われることなく不幸のうちにこの世を去る。「わたしはもう何年も本のなかで子供たちを殺してきた」と語るほどダークな作品を遺したゴーリーだったが、本人は「暗く暴力的な物語を描く作家」とレッテルを貼られることを嫌っている。彼にとっては残忍な光景を描くことが真の目的ではなかったのだ。
ゴーリーに対するさまざまなインタビューを集めた本書では、たびたび彼の作風についての質問が投げかけられる。殺人を描くのはなぜか、どうして陰鬱で不気味な物語を描くのか……それらの答えは全て「リアリティ」という言葉に集約されていく。
「わたしの仕事はどれもきわめてリアルだと思いますね。……わたしは『ファンタジー』という言葉が昔から好きになれなくて。ファンタジーというと、リアリティと関わりのない無責任きわまるものみたいに聞こえますから。ファンタスティックであるだけのものは、大して面白くないように思います」
ゴーリーにとって重要だったのは、現実を描くこと。生々しく残酷な物語は、彼からすると紛れもない「リアル」そのものだった。悪いことをしたから、痛い目に遭うわけではない。悪人にも善人にも不幸は平等に訪れる。ゴーリーが描き続けたのは、絵空事のような幸福や希望ではなく、幻想としては片付けることのできない人間の不条理な現実だったのだ。
絵本とは夢と希望にあふれ、どんな苦難が待ち受けていたとしても、最後は幸せな結末を迎えるもの。エドワード・ゴーリーが描く絵本に、そんな価値観は微塵たりとも通用しない。『ギャシュリークラムのちびっ子たち』では、AからZまでの頭文字を持つ子どもたちが順に無惨な死を遂げ、『不幸な子供』は天涯孤独となった少女が最期まで救われることなく不幸のうちにこの世を去る。「わたしはもう何年も本のなかで子供たちを殺してきた」と語るほどダークな作品を遺したゴーリーだったが、本人は「暗く暴力的な物語を描く作家」とレッテルを貼られることを嫌っている。彼にとっては残忍な光景を描くことが真の目的ではなかったのだ。
ゴーリーに対するさまざまなインタビューを集めた本書では、たびたび彼の作風についての質問が投げかけられる。殺人を描くのはなぜか、どうして陰鬱で不気味な物語を描くのか……それらの答えは全て「リアリティ」という言葉に集約されていく。
「わたしの仕事はどれもきわめてリアルだと思いますね。……わたしは『ファンタジー』という言葉が昔から好きになれなくて。ファンタジーというと、リアリティと関わりのない無責任きわまるものみたいに聞こえますから。ファンタスティックであるだけのものは、大して面白くないように思います」
ゴーリーにとって重要だったのは、現実を描くこと。生々しく残酷な物語は、彼からすると紛れもない「リアル」そのものだった。悪いことをしたから、痛い目に遭うわけではない。悪人にも善人にも不幸は平等に訪れる。ゴーリーが描き続けたのは、絵空事のような幸福や希望ではなく、幻想としては片付けることのできない人間の不条理な現実だったのだ。
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