CULTURE
菊竹清訓の名言「か・かた・かたち」【本と名言365】
June 24, 2024 | Culture, Architecture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。メタボリズムが生まれるきっかけの一つになった建築家、菊竹清訓の理論「か・かた・かたち」はあらゆるデザインに応用がきく、建築デザインの論理的思考です。
か・かた・かたち
建築は生物の代謝のように取り替えが利くものであるべきだと提唱した「メタボリズム」。これは1959年に結成された「メタボリズム・グループ」が展開した建築理論で、いまも建築史に名を残す。グループの中心メンバーは、評論家の川添登、建築家の菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、槇文彦、デザイナーの栄久庵憲司、粟津潔。その考えの根幹にあるのは、菊竹が「メタボリズム」に先んじて提唱した理論「か・かた・かたち」だ。
菊竹が1958年から1967年にかけて建築とデザインを考察した文章をまとめた書籍『建築代謝論 か・かた・かたち』で、この理論は繰り返し語られる。メタボリズム・グループを結成し、その考えを1960年の世界デザイン会議で『METABOLISM/1960 - 都市への提案』として発表して世界を驚かせ、メタボリズムの集大成となる大阪万博を控えた時期までの文章群だ。本書は「か・かた・かたち」の考察に始まり、後半では「代謝」を大きなキーワードとする。ここで提示された「か・かた・かたち」は、あらゆるデザインに援用可能な次のような考えだ。
か:本質論的段階・構想
かた:実態論的段階・技術
かたち:現象論的段階・形態
菊竹はこの三つの段階を互いに影響し合う三位一体の方法論として語る。認識のプロセスは帰納法的に〈かたち〉→〈かた〉→〈か〉の順で考える。具体的な現象を感じて〈かたち〉を捉え、それを成立させる共通項や法則性という〈かた〉を見つけ、その本質と原理原則を捉えて〈か〉を理解する。一方で実践は、〈か〉→〈かた〉→〈かたち〉と進む演繹法のプロセスをとる。構想を練る〈か〉、構想を実践に近付けるために技術的な裏付けを行う〈かた〉、具体的な表現に落としこむ〈かたち〉だ。
建築家のルイス・サリヴァンは「形態は機能に従う」といい、丹下健三は「美しきもののみ機能的である」と言った。それを乗り越えるため、菊竹は「美しきもののみ機能的ではない」として「空間は機能をすてる」と説いた。人が伊勢神宮や出雲大社に美を見出すのは、時間が人間と建築の関係を拭い去ったことで「機能をすてた空間」になったからだという。建築にはそれらのようにかけがえのない空間として「空間装置」があり、一方で取り替え可能な「生活装置」とキッチンや浴室などの「設備装置」の三つがあるとし、これらから「建築は代謝する環境の装置である」と主張した。
メタボリズムの建築はほとんどがその理論を実践することなく、物理的な問題から解体されてしまった。しかし菊竹の提示した「か・かた・かたち」はものづくりの本質的な概念を示すもので、いまだ古びない。2008年の復刻版刊行に際して菊竹は、「「かたち」だけの建築なら、外観に手を入れるだけで済むだろう。もし「かた」のレベルの問題なら、その技術やシステムの変更だけで済むかもしれない。しかし「構想的段階(か)」についての取り扱いとなると、未来に対する構想が必要になってくる。」と書いている。自らのなかで対話を続けることで考えを深めていくこと。その思考はあらゆる側面で、私たちを刺激する。
建築は生物の代謝のように取り替えが利くものであるべきだと提唱した「メタボリズム」。これは1959年に結成された「メタボリズム・グループ」が展開した建築理論で、いまも建築史に名を残す。グループの中心メンバーは、評論家の川添登、建築家の菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、槇文彦、デザイナーの栄久庵憲司、粟津潔。その考えの根幹にあるのは、菊竹が「メタボリズム」に先んじて提唱した理論「か・かた・かたち」だ。
菊竹が1958年から1967年にかけて建築とデザインを考察した文章をまとめた書籍『建築代謝論 か・かた・かたち』で、この理論は繰り返し語られる。メタボリズム・グループを結成し、その考えを1960年の世界デザイン会議で『METABOLISM/1960 - 都市への提案』として発表して世界を驚かせ、メタボリズムの集大成となる大阪万博を控えた時期までの文章群だ。本書は「か・かた・かたち」の考察に始まり、後半では「代謝」を大きなキーワードとする。ここで提示された「か・かた・かたち」は、あらゆるデザインに援用可能な次のような考えだ。
か:本質論的段階・構想
かた:実態論的段階・技術
かたち:現象論的段階・形態
菊竹はこの三つの段階を互いに影響し合う三位一体の方法論として語る。認識のプロセスは帰納法的に〈かたち〉→〈かた〉→〈か〉の順で考える。具体的な現象を感じて〈かたち〉を捉え、それを成立させる共通項や法則性という〈かた〉を見つけ、その本質と原理原則を捉えて〈か〉を理解する。一方で実践は、〈か〉→〈かた〉→〈かたち〉と進む演繹法のプロセスをとる。構想を練る〈か〉、構想を実践に近付けるために技術的な裏付けを行う〈かた〉、具体的な表現に落としこむ〈かたち〉だ。
建築家のルイス・サリヴァンは「形態は機能に従う」といい、丹下健三は「美しきもののみ機能的である」と言った。それを乗り越えるため、菊竹は「美しきもののみ機能的ではない」として「空間は機能をすてる」と説いた。人が伊勢神宮や出雲大社に美を見出すのは、時間が人間と建築の関係を拭い去ったことで「機能をすてた空間」になったからだという。建築にはそれらのようにかけがえのない空間として「空間装置」があり、一方で取り替え可能な「生活装置」とキッチンや浴室などの「設備装置」の三つがあるとし、これらから「建築は代謝する環境の装置である」と主張した。
メタボリズムの建築はほとんどがその理論を実践することなく、物理的な問題から解体されてしまった。しかし菊竹の提示した「か・かた・かたち」はものづくりの本質的な概念を示すもので、いまだ古びない。2008年の復刻版刊行に際して菊竹は、「「かたち」だけの建築なら、外観に手を入れるだけで済むだろう。もし「かた」のレベルの問題なら、その技術やシステムの変更だけで済むかもしれない。しかし「構想的段階(か)」についての取り扱いとなると、未来に対する構想が必要になってくる。」と書いている。自らのなかで対話を続けることで考えを深めていくこと。その思考はあらゆる側面で、私たちを刺激する。
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