CULTURE
ビル・エヴァンスの名言「才能なんて取るに足りない」【本と名言365】
June 6, 2024 | Culture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Kentaro Wada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。モダン・ジャズを代表するピアニストとして世界の音楽シーンに影響を与えたビル・エヴァンス。『Waltz for Debby』をはじめ数々の傑作を生み出しながら、悲劇に満ちた人生を歩んだ巨匠が抱く音楽への信念。
才能なんて取るに足りない
1980年9月9日、ニューヨークのジャズクラブ、ファット・チューズデイズでのセッションを終えた時、ビル・エヴァンスはすでに死の淵に立っていた。げっそりと痩せ細った身体、ぼさぼさに伸び切った口髭、焦点の定まらない虚ろな瞳……。今にも事切れそうなほど酷い健康状態だったことは誰が見ても明らかだった。それを最後にステージに上がることなく、稀代のジャズピアニスト、ビル・エヴァンスは51歳の短い生涯を遂げた。9月15日、セッションからたった6日後のことだった。
長年、酒と薬物に心身を蝕まれ、極限状態の音楽家人生を歩んだエヴァンス。ファースト・トリオの結成間もなくして起きたベーシストの事故死、長年のパートナーや最愛の兄の自殺がエヴァンスの荒んだ私生活をさらに加速させ、「彼の死は時間をかけた自殺というべきものであった」と語られるほど荒廃した最期を送ることになった。しかし、その危うげな生き様とは裏腹に、演奏は優雅で正確無比。天性の才能とも思える表現力と技術力に対して、エヴァンス自身はこう語っている。
「私は人よりも音楽に打ち込む必要があった。ほら、私にはあまり才能がないから。それは本当だ。……たぶん、努力する才能があったんだと思う」
『ビル・エヴァンス・トリオ 最後の二年間』で綴られるとおり、晩年は演奏が不可能と思われるほど身体を崩しながらも、頑なに治療を拒み演奏を続けたエヴァンス。自らの死を悟った最期の一瞬まで懸命にピアノに向かい合う。音楽に人生を懸けたピアニストの軽やかで切ない名曲たちは、死後数十年経ったいまでも色褪せることなく人々の心を震わせている。
1980年9月9日、ニューヨークのジャズクラブ、ファット・チューズデイズでのセッションを終えた時、ビル・エヴァンスはすでに死の淵に立っていた。げっそりと痩せ細った身体、ぼさぼさに伸び切った口髭、焦点の定まらない虚ろな瞳……。今にも事切れそうなほど酷い健康状態だったことは誰が見ても明らかだった。それを最後にステージに上がることなく、稀代のジャズピアニスト、ビル・エヴァンスは51歳の短い生涯を遂げた。9月15日、セッションからたった6日後のことだった。
長年、酒と薬物に心身を蝕まれ、極限状態の音楽家人生を歩んだエヴァンス。ファースト・トリオの結成間もなくして起きたベーシストの事故死、長年のパートナーや最愛の兄の自殺がエヴァンスの荒んだ私生活をさらに加速させ、「彼の死は時間をかけた自殺というべきものであった」と語られるほど荒廃した最期を送ることになった。しかし、その危うげな生き様とは裏腹に、演奏は優雅で正確無比。天性の才能とも思える表現力と技術力に対して、エヴァンス自身はこう語っている。
「私は人よりも音楽に打ち込む必要があった。ほら、私にはあまり才能がないから。それは本当だ。……たぶん、努力する才能があったんだと思う」
『ビル・エヴァンス・トリオ 最後の二年間』で綴られるとおり、晩年は演奏が不可能と思われるほど身体を崩しながらも、頑なに治療を拒み演奏を続けたエヴァンス。自らの死を悟った最期の一瞬まで懸命にピアノに向かい合う。音楽に人生を懸けたピアニストの軽やかで切ない名曲たちは、死後数十年経ったいまでも色褪せることなく人々の心を震わせている。
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