ARCHITECTURE
没後10年、大規模な菊竹清訓展が〈島根県立美術館〉で開催中。
| Architecture | casabrutus.com | text_Jiro Tsukamoto editor_Ai Sakamoto
戦後日本の建築界に大きな影響を与え、メタボリズム運動の第一人者として活躍した建築家・菊竹清訓の回顧展が、彼に縁の深い島根県で開催。没後10年の今年、改めて、その偉業を振り返ってみよう。
夕陽の名所として知られる宍道湖畔に建つ〈島根県立美術館〉。手がけたのは、戦後日本の建築界を牽引した建築家のひとり、菊竹清訓(1928-2011)だ。この美術館で2021年3月22日まで、菊竹の没後10年を機に山陰の作品群を中心に紹介する回顧展『菊竹清訓 山陰と建築』が開催されている。
菊竹清訓は、1928年福岡県久留米市生まれ。早稲田大学在籍中の48年に行われた〈広島平和記念聖堂〉のコンペで、学生ながら丹下建三に次ぐ、前川國男と並ぶ3位となり、その名は早くから知られていた。
53年に独立。60年に川添登、大高正人、黒川紀章らと結成した、社会の変化に対応し代謝・更新する建築、都市を提案する「メタボリズム」グループの中心的な存在となる。代表作に、自邸〈スカイハウス〉、〈東光園〉〈都城市民会館〉(現存せず)、〈東京都江戸東京博物館〉などが知られる建築家だ。
53年に独立。60年に川添登、大高正人、黒川紀章らと結成した、社会の変化に対応し代謝・更新する建築、都市を提案する「メタボリズム」グループの中心的な存在となる。代表作に、自邸〈スカイハウス〉、〈東光園〉〈都城市民会館〉(現存せず)、〈東京都江戸東京博物館〉などが知られる建築家だ。
菊竹と山陰とのつながりは、若き日に訪れた〈出雲大社〉から始まる。同社本殿の、かつて50m近い高さを誇った(平安時代に編纂された『口遊』には、高さ16尺=約48mという記述が残る)という壮大な構想と技術の限界への挑戦に驚愕し畏怖した菊竹。メタボリズムグループのひとり、評論家・川添登に「菊竹清訓論は出雲大社の『出会い』から始めなければならない」と言わしめるほど、この出雲大社との出会いが彼の建築開眼につながったという。
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